最近、年末くらい??
いや12月中旬くらい?
なんか非常に重たい感じになって
ゴリゴリな感じになった
今年の正月は全然明けた感じがしなくて
おせち料理や餅にも1日で飽きた。
Facebokであけましておめでとう!とか
お誕生日おめでとう!のコメントに返信するので精一杯
年賀状の返事も書く気が起こらないから書いてない。
寒中見舞いか旧暦の正月にでも出そう。
まだ重い。霊の重さではない。
と思っていたら、海部舞さんのブログを読む。
山羊座に星がゴリゴリ乗っているらしい...
それでか...
星が乗りすぎておる。重い...
うがーーーー
でも、ほんと今、まさしく
今までやってきた 政治活動を
今振り返っているんだ と思うような出来事が
わたしにたくさん起こっている。
なんで、こんな腹が立つん?
って思うことが連続してあって
それはいずれも、「政治活動」
2007年に「お金のひみつ」を知って
イラストを描き、動画を作りアップして...
2009年「ベーシックインカム実現を探る会」
主任研究員 「お金のひみつ」自費出版
「ベーシックインカム入門Q&A」イラスト担当
2011年 琵琶湖 高島へ引越 そして東日本大震災
2012年 震災がれき引受の反対活動
2013年 高島市議選に挑戦して当選
4年間市議会議員として異常に頑張った。
2017年 高島市長選に挑戦して落選
2018年 「日本ベーシックインカム学会」理事
ってな感じなんだよね〜政治、社会活動みたいなんを開始して12年間やってきたんだ!という...
干支を一回り...ってことは木星が一回りしたってことだ!
なるほどな〜〜〜
高島市議を経験したことは、めっちゃ得難い経験だったなーーーーーとほんとうに思う。最終的には市長選にも挑戦できてよかったと思う。反省、後悔することもたくさんあるけれど、その時のベスト、限界でした。
異常に熱心にやってきたんだ。と思う。
Facebookの投稿の友人のコメントで
「市長選出馬の時のあの際に現場直接見させてもらったのも、私としては面白かった。言ってる意味も、立ち位置も、何処の観点からも全然違ってる所に位置してたから、説得も何も、って感じやったのが」
っていうのを読んで笑った。
ほんと全身全霊をかけてやった、というのだけは言える。
ってな感じで、今までの政治に対して取り組んできたことの総決算的なまとめというか振り返りに取り組もう...って思ったときに
国会議員の秘書さんが挨拶に来られた。
初めましてのその人はスピリチャルに通じてる人で、オープンな笑い方もわたしに似ている...同族を感じて、話がもりあがった。こんな感じの人ははじめて。いい人を秘書にされたなぁ さすがだ。
最近、「ベーシックインカム」の活動の中で、これはイヤだなと思うことがあって、それをしっかり文章にして、会長に伝えました。
無条件で個人にベーシックインカムを支給するというアイデアは、多様なあり方を認める寛容で優しい社会であるはずなんだけれど
ベーシックインカムをどのように実施するかのアイデアというか議論で、例えるなら「俺が絶対に正しい!お前は間違っている!」「そんなことを言い続けているなら、ネット上で口撃し続けるぞ!」というような感じで勉強会の質疑応答の時間で話すとか...忌憚のない意見を交わすという次元とは違って それは脅しや脅迫...と言えるようなやり取りの傾向の人がいて
ベーシックインカムに関心を持たれたばかりの人が
こんな感じだったら二度と参加しない...って思うだろうなって思うことが これまで勉強会を主催したり、参加したりして目にしてきました。
多様性を認めるから、そんな人がいても寛容にしなければならないのか?いや違う。
今までは「大人の対応」というか、寛容な態度で、その人をそのままに放っておいて「彼にもいいところはある」「気にしない」ことにしていたのだけれど...
ベーシックインカムの活動にそれは熱心に頑張っている人たちが被害を受けている話を聞いて
ある意味、加害者のその人はベーシックインカムの活動にそれは熱心だといえる。だからこそ、むげにもできなくて、結果被害が広がる。
このままではいけない。「ベーシックインカム」の精神に反すると思いました。ベーシックインカムは多様性を保証する。だからこそ、多様性を冒す人に毅然とした対応を取らなければ、多様性を守れない。
「中立的」な立場で放置、容認していることは、加害者に加担することになってしまう...と思いました。
やっとね。遅い。ずいぶん遅かった。
自分も散々、その人から被害を受けていたのにね。それを「寛容」や「大人の対応」でスルーしてきたんだよ。
なかったことにしていたよ。
っていうことに、最近の
ぷんすかぷん のおかげで
気がつくことができました。
過去のわたし自身や、過去のベーシックインカムに興味をもってくれた人や、お招きした先生を 守れなかった...ということを沈痛に深く反省しています。
でも、今 気がついたから。
文章や電話でしっかり会長にお伝えするという行動に出られたことはよかったと思います。あとはもう、それは
「待つしかない」