昨日はこどもの中学校の入学式でした。

 

一年の学年主任の先生が

「いじめを許さない心を持って」

と言ってたと思うんだけど

 

いじめをなくすには

「いじめを許さない心を持つ」ことではないと思う。

正義でもないし、勇気でもない。

 

いじめをなくすには

個性の尊重 これしかないと思う。

 

 

でも、

空気を読む

みんなと同じであることを無言で強要する空気 同調圧力の高いところ

 

みんなとちがうところがあったら

そこから「いじめ」は発生するだろう。

 

同年齢で30人余りの集団に

学習させることが 効率的であるとは思えない。

明治時代からの伝統であろう。

 

30人の少年少女が集まってる

一つの教科を教えたら

できる子できない子がでてくるのは当然だと思う

 

だから劣等感とか優越感とかでてくるのは当然なんだけど

劣等感も優越感もこれから生きていくのに全く不要だから

 

 

 

 

集団生活の訓練という観点で

ちょっと考えてみると

同年齢で30人余りの集団が

学校以外にあるのか?と

 

社会にでたら、どう考えても

異年齢の集団になるだろうし、

大きい会社でも、会社の部署で10人くらいになるんじゃないかと思う。規模によるだろうけど

 

 

今はタブレットやインターネットで

なんでも調べられる

すぐにコピペできてしまう

だからこそ

知識を頭に詰め込むことではなくて

自分の頭で考える、ということに価値があると思う。

 

そういう意味で

これから学習することは過去、近代の遺物であって

現代、未来に生きるこれからの君たちに

役に立つことなんてほんとに

あるんだろうか?とさえ思う。

 

中学校で習ったことが

大きくなって役に立つことがあるだろうか?

実はあんまりないということを

大人たちは知っているはず

 

でも、「学校は素晴らしい」ということに

社会的になっている。

 

学校の先生はほんとうに大変で

毎日残業で土日の休みもほとんどないし

授業の準備だけでなく

事務的作業や報告書も多いと思う

 

学校の先生たちもわたしの年齢よりも若い先生だから

わたしは若い世代に期待してる

こどもに聞くと担任の先生は23才だそう!若い!

 

素敵な先生だった。

なんというか封建的で保守的な風土にある学校だけれど

「負けずに頑張って」とは言いたくないな

さわやかにエンジョイしてもらえたらいいなと思います。

 

 

こどもには なるべく楽しく

ぼんやり過ごしてもらったらいいかと思います。