アルゼンチン出身の監督は、多くの名将を生み出し、ヨーロッパでも成功しています。
この点は、ブラジルとは対照的です。
古くは、1974年のチャンピオンズカップでアトレティコ・マドリーを初めて決勝に導いたファン・カルロス・ロレンソ(Juan carlos lorenzo)、
レアル・マドリー黄金時代(1950年代)を率いたルイス・カルニグリア(Luis Carniglia)、
1960年代のグランデ・インテルを築いたエレニオ・エレーラ(Helenio Herrera)は、コスモポリタンだが一応アルゼンチン国籍も持っています。
最近では、ホセ・ペケルマン(José Krimen)、
ホルヘ・サンパオリ(Jorge Sampaoli)、
マウリシオ・ポチェッティーノ(Mauricio Pochettino)、
ディエゴ・シメオネ(Diego Pablo Simeone)……。
アルゼンチンでは,メノッティ派、ビラルド派がよく議論になります。
しかし、監督として成功しているのは、ビラルド派が多いようです。
あるいはビエルサ派と言った方がいいかもしれないですが、エクトル・クーペル(Héctor Cúper)は、堅守速攻の典型的な監督でした。
ヨーロッパで成功するためには「言葉を持っていること」「守備を組織できること」この2点がヨーロッパで成功する要因だと思います。
また、ビエルサ(Marcelo Bielsa)のマンツーマンディフェンスは、アルゼンチンの伝統が下地になっていることも事実です。
彼に限らず、この国の監督は、マニアックに独自のやり方を研究する気質があることも事実です。
ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)やリオネル・メッシ(Lionel Messi)のような選手だけではなく、むしろディエゴ・シメオネやハビエル・マスチェラーノ(Javier Mascherano)のような強靱なフィジカルと狡猾さで際立つ選手こそがアルゼンチンを代表するタイプなのかもしれません。
モンティの時代から受け継がれてきた系譜です。
デュエル(1対1)に強いアルゼンチンサッカーは、マンツーマンのディフェンスが伝統的でした。
名将の1人であるマルセロ・ビエルサ監督の守備戦術は現在でもマンツーマンがベースです。
人をつかんでいく方式なので、1986年W杯に優勝したアルゼンチン代表のように、マラドーナ、バルダーノ(Jorge Valdano)、ブルチャガ(Jorge Burruchaga)の3人以外は全部守備要員というイタリア真っ青の構成になることもあります。
1990年代に来日したインデペンディエンテは[3-1-3-3]の特殊なフォーメーションだったと記憶しています。
「1」 のフォアリベロがDFラインに入ったり中盤に上がったりするのだが、それも人をつかまえて1人余らせるという原則があったからです。
いずれにしても基本的にはまず守備ありきで、その結果として、少し変わったフォーメーションやビエルサ式の特異な流派も形成され、優れた対応力はどの時代でもしぶとく生き残れる源泉となっているのではないでしょうか?
■リカルド・ボッチーニの言葉
「サッカーで心技体の全てがもちろん重要だが、最も重要なのはフィジカル(体)だ。
フィールド内では、90分間高い能力で走ることができて闘えるフィジカルがあるからこそ、技(テクニック)や戦術がより活きることになる。
サッカーにおいてのフィジカルには、種類がある。
攻撃や守備での1対1でのぶつかり合い、ボールや相手に追いつくスピード、パワー。
その全てはフィールド内で90分闘うために必要なフィジカル。
そういう選手たちが11人集まっているチームは強い。
なぜなら、最低限のテクニックと戦術が揃っていれば、フィジカル面がより高いレベルになるために最も重要になるから。
そうなると、テクニックや戦術がより活きることになる。」
次回は名将「ビエルサ」が奮闘している、イングランド「古豪リーズ.U」のFA杯3回戦「リーズ.U×アーセナル」の試合を振り返ってみます。
