今日は脳脊髄液減少症の娘のその後を書かせて頂きます。
一昨年4月に鍼灸の専門学校に入ったまま、止まっていましたので
その後を気にかけて下さる方がいらっしゃることに大変感謝しております。
病を持ちながら毎日学校へ通うというのは、
どんな病であれ、なかなか大変なことですよね。
現在鍼灸学科2年生の娘も、時々朝から吐いたり、
身体の痛み(特に頭、背中、肩、腰、時に胃腸)に付き合いながら、
熱海の病院、各種病院に通い、
あまりに耐え難い時はブロック注射のお世話になって、
何とか ほぼ休まずに通学しています。
通学できているだけでも、本当にありがたいことです
そんな娘にとって、コロナによるリモート授業は天の恵みのようで、
昨年春先はとても助けられました。
~リモートで出来るのは座学だけでしたが~
鍼灸の学校では、本来であれば、近県のモグサ工場や鍼の工場の見学、近くの医大に解剖実習の見学に行ったり、3年生になる3月は中医学を学ぶため中国・天津へ1週間程の研修に行く予定でした。
ところがコロナのために、モグサ工場の見学、鍼工場の見学は無くなり、春に予定されていた中国・天津への研修旅行も中止になりました
工場見学や研修旅行をとても楽しみにしていた娘はとてもがっかり。。。
どこの学校でも皆さん、修学旅行が中止になったり 日帰りになったり・・・
修学旅行等を一度は経験している娘はまだしもですが、思春期の方々にとっては、
限りある学生生活の中で士気を高めて行くのがなかなか難しい日々ですね
そんな中、昨年10月に、近くの医大での解剖見学のみさせてもらえることになり
娘は緊張しながらも行って来ました。
実施して下さった学校には本当にありがたく思います。
ちゃんと佛さまに手を合わせて佛さまを思い、感謝しないとね、くらいのことしか私に言えることはありませんでしたが
鍼灸の専門学生が、そういう見学をさせて頂けるとは思いもしませんでしたが、
いろいろな筋肉、神経、各臓器などを見学させて頂き、
とても刺激を受け、勉強になったようで、勇んで帰って来ました。
(でも翌日は、自分で思う以上に疲れたようで、1日寝ていました)
「お顔全体は解らないながら、睫毛が綺麗で、優しそうなお婆ちゃんだったんだな~と
感じてジ~ンとした」と言っておりました。
これについて、これ以上詳しく書いてはいけないそうなので(⇐学校からのお触れ)、
ほぼ何も書けませんが、献体の制度を作られた方のお話を聞いて
そういう方がいてくれたお陰で、医学は進んで来たのだな~と感じ入りました。
献体という制度について、娘が貰って来た資料によりますと・・・
私の住むこの土地が、終戦後 慢性的な水不足だったことから
地元の篤農家Kさんが灌漑用水を作ろうと立ち上がったのですが、
その工事の最中に坑道からガスが出て56人もの方が亡くなったそうです。
「自分がこんな仕事を始めなければこの人たちは亡くならずに済んだ」
と
Kさんは大変心を痛め、水利観音500体を作って朝夕供養に努め・・・
それでもまだ慚愧の念に堪えず 苦悩され、
自らが人柱となって人さまの為に尽くしたいと考えるようになり、
日頃お世話になっている医大の教授に相談したところ、
あなたが人柱になることはない、
自分も医療を進める中で
何人も人を助けられずに来たから
あなたと同じだよ、
むしろあなたは、
灌漑用水を作ることで
多くの人を助けて来たではないか。
しかし そんなに死者に報いたいと
思うのであれば
献体という方法で
人さまのお役に立つ道もある、
自分もそうしようと思っているんだよ
とおっしゃったそうで
Kさんは即座に献体を決意し、献体を登録(同じ年に、夫人も登録)。
これによりK氏はようやく心の安らぎを得たそうで
その後も家族・親族・用水建設時の仲間などに
献体活動への働きかけを精力的に行い
これが献体・献眼への貢献団体「不老会」の始まりとなりました。
そうやって今の医学部などで行われる解剖の実習に繋がって行ったのだそうです。
http://furo-kai.or.jp/background.html
ちなみに、その灌漑用水は、農業・工業・生活用水として今日まで
住民の日常生活を著しく向上させた、とのことです
そういうお話にじわじわと感動したりしながら・・・
しかし一方、娘に対し 今現在の私にできることはあまりなく
必要とあれば積極的に娘の鍼やお灸の実験台になり、
時にわんこの具合の悪い時にも鍼をやってもらうくらいで、
それでも、私の身体を揉み揉みしてほぐしてくれる娘の手の感触が
絶大な親バカ効果で何だか優しく嬉しく感じられ
ただでさえいつも眠たい私はついついウトウト(笑)
娘の体調としては、頭痛がない日は一日もないそうで、
痛くない日がどんな感じだったのか もう思い出せないと
常に言っていますし
時折襲う吐き気などに相変わらず悩まされてもいて
毎日お風呂に入った後は、疲れてグッタリしています。
毎日どうか今日一日もちますように!と思いながらやっている、
と言うのを聞くととても切なくなります。
僅かずつの回復でしかないのかもしれませんが、
それでも寝たきりになっていた年月を思えば、体調もですが
特に精神的に、ずっとずっと前向きになってくれているのが本当に有難いです。
娘のケーシー(って言うそうです)
これを洗濯して干す度に、娘よガンバレ!とケーシーに向かって声掛けしてしまいます(笑)
指先にかなり湿疹がある娘は、指先でモグサを丸めてお灸の形を作るのが痛くて大変と言って、毎日毎日、指先をテープで補強したり、寝る時は掻きむしらないように夏でも手袋をはめて寝ています。
お風呂場でも、お湯が当たると痛かったり、湯舟に浸かると苦しかったりで
時々悲痛な声が聞こえて来たりします。
先日、毎日あちこち痛くて身体が辛そうな娘に、ついつい自分の病気を忘れて
「大変だね~お母さんが変わってあげたいわ」と言い、
アッと思って「1型付きだけどね(笑)」
と言ったら・・・
娘、ジッと考えてから
「いや、いいわ(笑)」「もう慣れたし、私はこっちでいい(笑)」とのことで💦
いろんな意味で、ちょっとビックリしました
私より娘の方がよっぽど大変そうに(母としては)見えているので
いつの間にか そんな風に言えるようになっていた娘(と捉えて良いのか?)に
新鮮な驚きを感じました。
中学生の頃からやりたいと励んできた道とは全く違う道になりましたが、
鍼灸の勉強は楽しい、難しいけど奥が深くてすごく面白い
と楽しそうに励む娘に
こういうのが人生の面白さなんだな~、
娘からいろいろな人生を学ばせてもらっているんだな~と感じ、
鍼灸という新たな目標を持つことができたことに
今更ながら感謝でいっぱいになります。
5年前、10年前には、こういう日が来るとは想像もできなかった。
人生捨てたものじゃないな、と思える今日があってくれたことに
心から感謝です。
お陰様で、何とかかんとか、ほんのわずかずつではありますが
娘はここまで回復してくることが出来ました。
最初のブラッドパッチから約9年、
まだ途上ではあり、万全とは言い難いのですが、
もっともっと辛い苦しい思いをされている同病の方には申し訳ない思いです。
皆さまの少しずつでもの回復を心から願い 祈ります。
このまま、何とか無事に鍼灸師の資格を取って、病に負けないで
仕事をこなしていけるよう
そして何よりも、少しずつ身体が楽になり回復して行けるよう
これからも祈りながら見守ります
長々した文を読んで頂き、本当にありがとうございました。