脳脊髄液減少症 回復期の娘が、 

この春から鍼灸の専門学校へ通うことになりました。

 

先週初めからオリエンテーションが続いていましたが、先日、入学式がありましたニコニコ

高3の秋頃から眩しくて吐き気がする、頭が痛い、等々、脳脊髄液減少症の症状で具合が悪かった娘。

どこが悪いのか不明なまま大学生になり、

2007年の秋、

もうどうにもならないくらい具合が悪いと言い始めた時から 早くも12年が経ちました。

 

ここまでの日々、

娘が、新たにこういう晴れの日を迎えられる時が来るとは全く想像も出来ませんでした。

 

 

 

 

 
本当は大学で研究職に就きたかった娘ですが、

院に入ったところで休学し、

地元に帰って来たって良いんだよ

帰っておいでよ」という親の言葉に背を向け、

塾で中学生に勉強を教えながら復学し、

普通の人の倍の年数をかけて何とか卒業しました。

娘の、せめてもの意地のようなものだったかと思います。

 

 

 

とは言え、

夜行バスで娘の住処を訪ねて行けば娘はいつも寝た切りで、
不安でいっぱいになる毎日でしたし
何でそんな状態なのに無理なことを続けようとするの?」と全く信じられない気持ちや、
娘の思いを大切にしたい」気持ちや
甘やかしているのではないのか?(やりたいことをいつまでもやらせているという点で)
自分を責める気持ちや、
具合が悪いのだから何が何でも連れ帰るべきではないか?
など、心は千々に乱れましたが、
娘は帰らないと言い張り、言い争いになることもありました。
 
そんな風に、娘は休んでは復学、また休んでは復学という具合に
何とか通学を続けたようでしたが
親の私は、何とか無事に少しでも体調良く今日一日を過ごしてくれるよう祈るばかりで 
卒業は期待していませんでした。

それだけに、卒業した晴れと聞いた時はさすがに

我が娘ながら「あっぱれ!」と思ったものでした。桜桜

(甘い親バカですが)

 

 
卒業後 何とか地元に連れ戻したものの
その後もずっと続いた寝たきり生活・・・
 
あれこれ本当に長い道のりでしたが(娘自身もそう言っています
 

娘の前では暗い顔は絶対にしない、

明るく、私に出来ることを黙々とやり続けよう、と決めてから

次第に覚悟が決まり、

希望があることが信じられるようになり

少しずつ明るい気持ちになって行けました。おねがいドキドキ

 

 

そんな中、治療を通じて娘は鍼灸に出会い、

そこに自分の活路を見出してくれたこと、

今ようやくその出発点に立てたことに

感謝しても感謝しても、しきれません。

 

 
まだまだスタートラインに立ったばかりですし、

張り切っている娘の気持ちとは裏腹に

日々かなり疲れて 時々吐き気に襲われているのを見ると心配にもなります。

 

また、どんな大変なことが行く手に待っているかも分かりませんが

それはそうなった時に考えれば良いこと。
 
今は、感謝の思いを胸に
新たに希望を持って歩み始めようとする娘に
精一杯のエールを送りたいと思います。

 

 

 

今は亡き私の父にも、今の娘の姿を見せてあげたかった、と

(5年前、実家の父の家に介護同居しましたが、

そこで共に暮らしている間中、娘はずっと寝た切りで、

父にも大層心配をかけたまま逝かせてしまったので)

それだけは少し残念ですが、

父もきっと何処かで見ていてくれるに違いありません。虹照れ音譜虹

 

 

 

1型のことは全く書かないまま

長々した記事になってしまいましたが

読んで下さって、本当にありがとうございました。ニコニコさくらんぼハート