私の摂食障害記録



18歳☆嘔吐を覚える

19歳☆細いと言われるのに快感を覚える

20歳☆パワハラにあう←ここ

21歳☆デートDVにあう

22歳☆自力で治そうと誓う

27歳☆妊娠、出産で落ち着いていた過食嘔吐が確実に再発

32歳☆子供を亡くし、拒食→過食嘔吐





母の食べろ食べろ攻撃をひたすらかわしつつ


自分の許容食を慎重に慎重に食べていました


けれど、みんなで食べる食事は楽しく1人で食べていたよりも美味しかったです😊


そして、人がどれくらい食べたかを見て、自分が人より少なく食べていることを確認して安心していました


必ず完食することはなく


主にお米は許容量以上に盛られると


半分しか食べずに必ず残していました


丼物は大嫌い、うどんも1人前は嫌


(炭水化物は太るからという理由)


サラダは一人前しっかり食べられました


しかし、お腹が出ているのをみてしまうとアウト


サラダでも吐いてしまうことがありました





正直、どうやって体重が増えていったのか


どうやって食べられるようになったのか


はっきり思い出せません💧💧


けれど、母はひたすら見守ってくれたのは覚えています


あと一口頑張ってみない?


食べたいものある?


食べたいものだけ食べてみな



たくさん声掛けしてくれました


また、見て見ぬふりもしてくれました


自ら食べると言うまで待ってくれました


しかし、母から言われて恐怖になる言葉がありました


それは



「今日は食べられたね!」




それは褒め言葉で言ってくれてるんだと分かっているんです


母にとっても食べてくれることは嬉しいし


娘のガリガリの姿をどうにかしてやりたい気持ちがあって


褒めて伸ばしてくれようとしてくれたんだと思います


けれど、褒められると


私、食べちゃったんだ…食べちゃったんだ…


と不安になり、その後嘔吐してしまうことが多かったです



最初は個別でお皿に盛ってくれましたが


目に見えた量が自分のノルマと見えて監視されている気持ちや


母への理解してくれない!という気持ちの反発もあり


必ず完食しませんでした



日に日に母もダメだと思ったのが


大皿料理で出してくれるようになりました


大皿料理ならば


好きな量、好きなもの、好きなだけ食べれるという利点があるけれど


誰がどれだけ食べたか分からない


そういう点もあります……


けれど、それなら私が食事時間常にお箸を動かしていたこともあり


母は大皿料理で提供してくれました


おそらく、母は栄養よりも「食べること」をまず第一に考えてくれたのだと思います





それから母は


私のやりたいと言ったことには応援してくれ


温泉や旅行にも連れて行ってくれました


その当時、32kg


ガリガリな人が温泉に入っていたら変な目で見られていたと思います


観光地や多くの人の目に触れるところに行けば


必ず二度見される


けれど、母はそんな私と肩を並べて歩いてくれました


いつも笑顔で話しかけてくれました


実家を出る前と同じように……






元々食べることが好きだった私は


旅先で食べる食事が楽しみでたまりませんでした


ご当地グルメは下調べをして


私がお店を選んだり


歩いて気になるお店があれば入って


食べ歩きもします


けれど、ソフトクリーム1つも食べられない私


母と半分にしたりして


一口食べて満足


母は「もっと食べな」と勧めてくるけれど


残りは全て食べてくれました


残したものを食べてくれる人がいる


そういう人がいるだけでも食べることへ安心感がありました






家や外でも嘔吐した後、母からは


また吐いちゃったの?


と呆れ顔で言われました


いや、気持ちは分かります


ようやく食べたのに何故吐く…


けれど、責められると余計に自分が悪く思えてきて自己評価が下がっていきました


別に責めてるわけではなかったと思います


けれど、摂食障害の嫌なところは


全て被害妄想化してしまうんです


相手が良かれと思って発した言葉も


時には棘のように突き刺さり


何日も引きずったりします


難しい……………






続きます













そういえば、私の母の日は焼肉パーティーでした❤️