私の摂食障害記録



18歳☆嘔吐を覚える

19歳☆細いと言われるのに快感を覚える

20歳☆パワハラにあう←ここ

21歳☆デートDVにあう

22歳☆自力で治そうと誓う

27歳☆妊娠、出産で落ち着いていた過食嘔吐が確実に再発

32歳☆子供を亡くし、拒食→過食嘔吐






実家に帰って私は

何もかもから解放された気分でボーっとしていました

実家に帰ってから更に体重は減り32kg

まで減りました

骨と皮

それが正しい表現です

なので、どんな体制になっても体中が痛く

長く同じ体制でいることが出来ませんでした

実家に帰ってからは暖房器具の前が私の定位置

とにかく寒く

暖房の前から動けませんでした

そこから1日中テレビを観て過ごします


最初こそ

食べられるのだけ食べなさい

という感じで見守ってくれていたのですが

だんだんと

あれ食べろ、これ食べろ

おやつを食べろ

など、食べろ食べろ攻撃(笑)が始まりました



その時の許容食が

グミ
マシュマロ
パン
野菜
牛乳
ミルクティ


だったかなぁ……



とにかくお肉は絶対無理で

お米も通常2.3口で終わるような量以上お皿に盛られるとパニックでした



食べる=太る



頭はそれしかありませんでした

けれど、常にお腹は空いているので

大食い番組や食事の番組は食い入るように観ていました



食べられないけれど

食べる人を見るのは楽しい

これくらい食べられたら…

憧れもありました






実家に帰ると同時に精神科も地元に変えることになり、紹介状を書いてもらいました

しかし…

精神科での診察に疑問を持っていた私は

母にも相談して

精神科への信頼は低い物になっていました

(精神科へは私1人で通っていて、母は一度も一緒に受診したことはありません)

地元の病院へ紹介状を持っていっても

なかなかスムーズに話が進まず

受付の時点で受診することを諦めました

色々とたらい回しにされたため

もう受診する気力、通院する時間がもったいないと母を説得して

受診することを辞めました



結果、それは私にとってはプラスだったように思っています


その代わりに私はこのAmeba blogを始めました

その当時はこのアカウントではありませんが、パワハラのこと、接触障害のこと、彼氏のこと

つらつらと書いて自分の気持ちを整理するためのツールとして使っていました

摂食障害というジャンルで1日1000アクセスあることもあり

このブログが私の精神科のカウンセリング代わり

そして、頑張れば認められる

という自己評価が上がるポイントともなりました







続きます










義理の父はノンアルコールが好きなのでノンアルコールビールを父の日に送ろうとおもいます😊