この記事は、flumpoolに関する情報はほぼありません。

私見が主な読みづらい記事なので、まあ、スルーしていただいて全然かまわないですm(_ _ )m。


★「Fantasia of Life Stripe」がリリースされて、もうちょっとで2週間になりますね。

私のように特別な情報をもてるわけでもないものにも、今回のアルバムは相当いい反応が返ってきてるんじゃないかと思っています。


自分たちをさらけ出した、剥き出しにしたっていうアルバムが多くの人に迎えられて、ほんとよかったなと思います(*^▽^*)。


赤坂さんがおしゃっていたように、求められるものが、自分たちの作りたいものになってきたのかなと。


とにかく一生君は曲作りでは解放されてるみたいし、隆太君は自分の言葉で詞を紡いでいるように思うし、なによりメンバーが自信をもって、楽しそうなのが嬉しいですね(-^□^-)。


自分たちをさらけ出した、嫌われるかもしれないけど・・・。

などアルバム発売前からのメンバーのコメントに、いったいどんなものになるんだろうと思っていた私でしたが、聞いてみたら・・・・。



正直、拍子抜けといっては変ですが、

これは嫌われないだろうと。

むしろより多くの人たちに開かれた感じで。


だから一番に感じたことは、

flumpoolの本質は、こんなにポップなんだということでした。


路上ではじめた頃は、もともとアコギのポップ系だったようだから、

一生君のメロディーは、おそらくそういうところに本質があるんでしょうね。

今回の「君のための100のもしも」のように、もっと違ったサウンドも展開されていく可能性もあるみたいだし。

(ちなみに「君のための100のもしも」はすっごく一生君の歌っていう感じがするので、いつか一生君歌ってくれると嬉しいなあ~(*^▽^*)

一生君、声が甘いからぴったりだと思いますよ。隆太君ファンに怒られそうだけど(;^ω^A)


ベスト盤みたいだとか、どれもシングルにして出してもいいくらいとか、

ラジオのDJの方が、いろいろおっしゃってましたが、

耳あたりの良いカラフルな曲が、むしろいっぱいだったと思います。



私は、自分たちを剥き出しにしたっていう感じは、

勝手にサカナの「目の明く藍色」のような、

ちょっと近づきがたい世界を想像していたので、

拍子抜けというのは、そういう意味でした。

(むしろ毛皮のマリーズさんの方が、そういう意味では嫌われるかもしれないことを覚悟で、相当の勝負に出たような気がします。)



でも隆太君の詞は、確実にとがっていて

突き刺さって、簡単に聞き流せない力をもってましたよね。


鹿野さんがシリアス・ポップっていってたけど、

さらっと聞くととても耳あたりのいいサウンド中に、

立ち止まりたくなるような詞が潜んでいる。

そんな感じがflumpoolのこれからの世界かな~って思いました。


私はもともとロック聞きじゃないので、

今回のflumpoolみたいなサウンドも、大好きです。


最近Two door cinema clubというアイルランドのバンドも好きですが、

彼らもポップであることに自信と誇りをもっていて、

そしてそれがすごく受けているし、でもけっこう詞はある意味ストレート、ある意味複雑って感じで、

サウンドは全然違うんだけど、とにかくリピートしたくなる、何回聞いてもあきない何かがあるってことで、何かflumpoolと共通項を感じてしまいます。



とにかくメロディーが頭に入ってきやすくて、リピートしたくなって、脳内再生率が、めっちゃ高かったです(*^.^*)。





そして、A-Sketchの相馬社長は、「王道のポップス」を目指す方ですよね。

WEAVERが出ていた、音龍門でもそんなことおっしゃってましたが、相馬社長がどんなことを考えてflumpoolを育てているのかがわかる、とっても貴重な雑誌の切り抜きを送っていただきました。

ありがとうございましたm(_ _ )m。

すごく興味深かったし、おもしろかったです。


私なんかはおよそ日頃目を通さない、幻冬舎のゲーテという雑誌の「24時間仕事場バカ!」の熱狂人生というコーナーです。


★GOETH 2010 2月号

ISBNコード:4910033230205
発売日:2009/12/22

http://www.back-number.net/d/feb104910033230205/




シリーズ 「24時間仕事バカ!」の熱狂人生
相馬信之 Amuse取締役/A-Sketch代表取締役社長
専門家の評価が低いからこそ、”ヒットの可能性”を感じる


まだバックナンバーは買えるようですし、公共の図書館などおいてあると思いますので、ご興味のある方は、ご覧になるとよいかと。

なるほど~と。

相馬社長が、相当マネージャー的な立ち位置でflumpoolに関わっているのがわかります。


音楽業界が不振の中で、配信で大成功を収めた人物として業界では大注目だったみたいですね。

武道館で隆太君に指示する様子が写真で出ていて、

なんと相馬さんは歌や演奏、客席への挨拶のタイミング、果てにはコントで一生君の頭を一斗缶でたたく誠司君の動作まで指示してらっしゃるようです。

デビュー曲を「花になれ」に決めたのも、あのUnrealのジャケットを決めたのも相馬社長のようですね。


相馬社長に対する隆太君のコメントがあって、

初めてライブを見てもらった時、「君たちの音楽は何を伝えたいのかわからない」「聴き手の気持ちを意識した作品を書け」と明確に言われ、送り手本意の自己満足の世界だったことに気づけたその夜は、flumpoolの新しいスタートになったそうです。


そしてなんと驚きなのは、flumpoolは相馬さん以前にもいくつかのレーベルに声をかけられていたんだそうです!!

でも他の人は言わなかったような、常に現実的で前向きなアドバイスをしてくれる相馬社長を、隆太君は(おそらくメンバー全員?)はとても信頼しているみたいです。

あのC.Cレモンホールの声のでないライブでも、はじめは途中で中止にしようかと思ったけれども、ステージと観客の様子を見て考えを改め「どんな歌でもいいから、お客さんを喜ばせてこい」と隆太君を送り出したみたい。そんな社長から、ステージから逃げない大切さを教わったそうです。

「この人と歩けば大丈夫!」と思わせるすごく頼りになる人だと隆太君。



相馬さんは、桑田さんのマネージャーを長く勤めた方らしく、強くメジャー志向、王道志向の方のようです。

その桑田さんは、徹底して世の中と聴き手を意識する方。どうやったらリスナーや観客に喜んでもらえるか、楽しんでもらえるかが最重要項目だそうです。



flumpoolのリスナーは10代中心。10代と言えば一番とんがった時期。本音と建て前が分かれるようなのを一番嫌うような時期ではないでしょうか。

それにメジャーな動きではないにしても、神聖かまってちゃんみたいなバンド、世界の終わりみたいなバンドがどんどん出てくる。

また、隆太君が言っているように、最近の若い人は案外本当のことを言わない、傷つけないように細心の注意を払って人とつきあっている。その分はき出していない言葉が、内部に充満しているかもしれない。

自分たちを剥き出しにっていうところは、そんな自分たちのフィールドに対する観察もあったんじゃないかなと勝手な想像(;^ω^A。



ショービジネスは一種の社会貢献。真のエンタテイメントこそが、真の社会貢献になりうる。という信念の相馬社長でした。


エンタテイメントってなくても生きていけそうなものですが、それがなくては社会が回らないという仕事を担っている人を勇気づけたり、癒したりするのがエンタテイメントかなって。

そういう意味では、やっぱりなくてはならなくて、明らかに社会貢献のひとつですね。

ライブを見ていると、ほんとにたくさんの人を幸せにするいいお仕事だなと思いました。


あと相馬社長がflumpoolを選んだ理由として、

周囲の評価があまり高くなかったからこそヒットの可能性を感じたと。はじめスタッフ10人くらいに聴かせた時の反応は、いまひとつ。でもデスクワークの若い女性には反応がよかった。それで自信を深めたそうです。

相馬さん自身は隆太君の声に“色気”を感じたそうで、「彼は佇まいにも雰囲気がある。メンバー4人のバランスも絶妙。誰か一人が目立つのではなく、リーダー的な存在がいて、笑いを取る役もいる。いいバンドは自然と役割分担ができている。極論ビートルズがそうであったように」と。


そして「彼らの音楽は切な強い」。

つらい時には切ない音楽を聴きたいけれど、でも背中を押してくれるような強さも必要だと。

そういえば「花になれ」の時のコピーは、切なくも力強いでしたね。


スポーツも食べ物も僕は王道が大好き。王道があるから個性派が成り立つ。どの時代も王道ありきと言い切る相馬社長。


「ところが音楽業界で、正面きって、僕たちはポップスです!とジャンルなんてどうでもいいと堂々といえる若いバンド、今はいないでしょう?それならば、自分の手で育てたい。"お茶の間バンド”というのかな、家族全員が名前と顔がわかり代表曲を口ずさめるバンドを生み出したい。」

それで今のファンは10代の女の子中心だけど、もっと広い層に広がってほしいと。


こういうところからも、紅白出場に力が入るんでしょうね。


A-Studioでも言っていたし、一生君もよく言う代表曲みたいなのは、社長のこういう気持ちからくるのかもしれませんね、もしかして。



何億ものお金が動く、ショービジネスの世界に、flumpoolは生きているんだなと、あたりまえのことながら、改めて思い知らされます。


鹿野さんは桑田さんの高校の後輩らしく、また桑田さんに対してすごい敬意をもっているらしくて、桑田さんが病気だというニュースでアミューズの株価が下がったとき、すごく憤ってました。

今回もアルバムの1曲1曲に対して鹿野さんオリジナルのコメントを書いたものが発表されたらしく、とても力が入っていたようです。

桑田さん繋がりで、鹿野さん-相馬さんラインがありそうですね。



知的で内的な感じも受ける隆太君が、王道のポップスシンガーなのかなと思う反面、知識社会といわれるこれからの社会。

多くの人が端末をあやつり、情報を操作し発信する、農業をやるにもパソコンが必要だったりするますます知的に洗練されることが要求されるこれからにあって、それでも人間の情念的な部分は意外に変わらないものだと思うので、

どことなく知的で洗練された人が、情念をぶつけて解放されていくのを見るっていうのは、これからのニューヒーロータイプなのかな・・・。

なんてね(;^ω^A


本音を出し切れない都会のサラリーマンの、カタルシスになったらいいのになあなんて、勝手に妄想する私でした。



私が、ライナーノーツの中で一番好きな写真は誠司君の写真なんですが、誠司君のあのまなざしの先は何を見てるのかなあと思います。



それとメンバーにはプライベートでも、幸せになってもらいたいなあって切に思います(^o^;)

だって王道のポップス鳴らすなら、やっぱり幸福感って大事だと思うし、フツーの幸せを感じながら暮らして欲しいなと思うんです。

ロックだとフツーの幸せになっちゃうと、ロック鳴らせなくのかもしれないけど、ポップスはね。



なんて余計なことばっかり(;^ω^A



flumpoolを知る上で、とても貴重な記事でした。

ほんとうにありがとうございましたm(_ _ )m


お名前をお知らせしてもよければ、コメント下さい。


flumpoolは王道のポップスに向けて、確実に今度のアルバムで、道を開いたのかななんて思っちゃいました(*^.^*)







さて、誰にも期待されない


くまクマ企画!!


(んなもんあるんかい( ̄ー ̄;

まあまあ(^▽^;)



え~とMujackで都市伝説の方がおもしろいこと言ってましたよね。

ノストラダムスみたいな。

まあ世界の終わりはないようですが、新しい時代がくるとか。

野口英世がフリーメイソンだったとか。

そういうことについてどう思われますかとさちころ。さんからおたずねがあったので、

私の知っている範囲でお知らせしようと思います。


めっちゃマニアックです(*゚ー゚)ゞ


フリーメイソンについて私が読んだものは

「フリーメイソン-西洋神秘主義の変容」(講談社新書)と「フリーメイソンと錬金術-西洋象徴哲学の系譜」(人文書院)で、ともに名古屋大学の教授吉村正和という人が書いたものです。


どちらかというと、西洋思想史風で学術的です。

前者はフリーメイソンが古代からの流れを汲む神秘主義的秘密結社のようでありながら、それまでの「神」中心の社会から「人間」中心の世俗化の過程から出てくることをとらえた、あまりおどろおどろしい話は少ない学術的なものですが、アメリカ建国にあたってのフリーメイソンの位置づけなどが書かれていて、世界を理解する上で、ひいては現在の自分たちをも理解するするのに非常におもしろいものとなっています。


後者の本は、もっと西洋神秘主義について理解できます。


要するになんだということですが、物質主義・科学主義一辺倒に思われる西洋近代の裏側に脈々と流れる西洋独特の精神主義があるということです。

(もっとだからなんなんだ( ̄_ ̄ i)すいません)


もうひとつ。

アステカ文明が、新しい時代、新しい人間が出てくると予言しているとあの番組では言っていましたが、実はアステカ文明だけでなく、新しい時代がくるという言説はいろいろと出回っています。

1994年出版になっていますが、一時期「聖なる予言」という本がけっこう売れました。

新宿の大きな本屋に、この本が山積みされているのを見た時、やっぱりなにか時代は動いているのかと思った記憶があります。

この本は、フィクション風に描かれながらも、これからは新しい意識の時代が来るといったことが描かれた本です。


アクエリアンエイジというゲームがあったのをご存じないでしょうか。

このアクエリアンエイジというのは水瓶座の時代ということですが、占星術をもとに春分点が20世紀後半までの2000年の間魚座にあったものが水瓶座に移る、つまりは新しい時代がそれによって到来するといった考えです。


このように、まあ言ってしまえばオカルト的な思考は、19世のイギリスでもは流行りましたし、60年代のヒッピー文化にも見られるものです。またオウム事件を考えれば非常に危険なものとして見なされる可能性もあるものです。今に始まったものでもなく、繰り返し出ては消えていった流行のようなものかもしれません。


それこそ信じるか信じないかは自分次第なのですが、


私が非常に興味をもっていることは、このようないわる神秘主義的コードがエンターテイメントの世界に深く浸透しているということです。

ダ・ヴィンチコードや一連のダン・ブラウン氏の作品や映画、インディー・ジョーンズのシリーズ、ハリーポッターシリーズなどや、日本のアニメ、漫画にもよく気をつけてみるとこの手の世界観が充満しています。

セーラームーンでさえ、竹内直子さんはかなりその手の知識があるように思いますし、ご主人の富樫義博さんのハンター×ハンターなんかもそんな世界です。(むしろ気を基盤とした東洋的な雰囲気の方が強いでしょうか)私が好きなCLAMPさんなんかもそうですが、ほとんどの漫画やアニメが超現実の世界を好んで描いています。昔はもっとスポーツものとか、青春ものとかリアリズムの作品が多かったと思いますが。

(もちろん「君に届け」のようなリアリズムも変わらず人気はあるのですが)


特に若い人たちは、こういう神秘主義的コードとくくってよいかわかりませんが、そういう世界にかなりひたっており、しかもそういう世界がビジネスとして相当なお金になるという事実。

この事実だけは、非常におもしろいものだと思っています。


さちころ。さん答えになっていないとは思いますが・・・。

いかがでしょう。



くまクマ企画第二弾!

(おそらくもう読む人はいない・・・(*v.v)。


ギルトが許されない愛を描き、今回のアルバムでは遠くの人を思うとても切ない詞が多いのに触発されて、私が思い出したチェーホフの作品について。


革命前のロシアの作家チェーホフは、私がとても好きな作家です。

「桜の園」などの戯曲が有名ですが、短編にとてもいいものがあります。


なかでもそれこそ不倫の愛を描いた「犬を連れた奥さん」は「緋文字」ほど激しくありませんが、リアリズムでありながら永遠がかいま見えるような美しい作品だと思います。


中年男のグーロフはそれまでも退屈紛れに、様々な婦人と情事を重ねていたが、あるリゾート地で犬を連れた若い婦人に出会う。彼女アンナは夫を好きになれない不幸な結婚をしてして、やがて手慣れたグーロフと逢瀬を重ねるようになってしまう。彼女は育ちの良い、まがったことの嫌いなまだ年若い婦人でこういったことに陥った自分をひどく軽蔑し、遊びの一部としか考えていないグーロフをとまどわせた。それでも時が来て、アンナは夫の元へ帰らなくてはならなくなり、グーロフもいつものように思い出のひとつとして、この情事を忘れるだろと思っていた。

ところが時がたってももグーロフはアンナを忘れるどころか、ますます想いは強くなりとうとう彼女に会いに行ってしまう。驚いたアンナは自分が会いに行くからとグーロフを返し、時々グーロフの元に通うようになる。

二人は、お互いが相手のものになるように運命づけられていたように思われ、男に妻が、女に夫がいるのが不可解だった。まるで一番(つがい)の渡り鳥が捕らえられて、別々の鳥籠に入れられたように。でも終わりまでは、まだまだ遠く、もっとも入り組んだむずかしいところは今ようやくはじまったばかりなのだ。


というまるで解決のない終わり方をした短編です。

二人が海辺を歩く何気ない瞬間に、何か永遠の神秘を感じるような描写があって。


私は恋愛の中に、天上の永遠がかいま見える瞬間があると思っているので、とても好きな作品です。



もうひとつ、同じくチェーホフの「中二階のある家 或る画家の話」という短編です。


革命前夜のロシアを背景とした、政治的な話がかなり出てきて読みやすいものではありませんが、最後のところがとても好きで、何回も読んだ覚えがあります。

実際的で、社会の具体的な生活改善が最も重要だと考える姉リーダと、まだ少女のような妹のミシュスと母親が3人で暮らす中二階の或る家に時々訪れる若い画家である主人公は、姉の実際的な考えについていけず、もっと精神的な自由が大事だと考えて、リーダからは敵視されている。

画家は、次第に妹のミシュスの無垢さにひかれていくが、それに気づいたリーダによって、妹は遠くにやられ二人は引き離されてしまう。姉を悲しませることはできない、幸せになってほしいという手紙だけが残され、ミシュスがどこに行ったのか、知る手がかりもないままにその恋は終わってしまう。


そんな物語です。


最後がとても好きなので引用。新潮文庫『かわいい女・犬を連れた奥さん』(小笠原 豊樹訳)より


「私はもう中二階のある家のことなど忘れかけているが、ごく稀に、絵を描いているときや本を読んでいるときなど、突然、あの窓の緑色のあかりのことや、恋心を抱いて寒さに手をこすりながら夜ふけの野原を家に帰ったときの自分の足音などを、なんとはなしに思い出すことがある。そして更に稀なことではあるが、孤独にさいなまれ淋しくてたまらぬとき、ぼんやりと思い出に浸っていると、なぜかしら相手もやはり私のことを思い出し、私を待ちつづけ、やがて私たちは再会するのではないかという思いが少しずつ募ってくる・・・・・

 ミシュス、きみはどこにいるのだろう。




ベガとかの詞を読むと、なんとなくこの物語が思い出されました。星によせて書いた詞は、大切な人を思う歌が多いよなあなんて。


隆太君は幸せになれますように。




ということで、王道とは対極なめっちゃマニアックなくまクマでした。


へんな記事で、失礼しました~m(_ _ )m。


ではでは~。



P.S.「永遠に女性なるもの、我らを天上にひきよすなり。」もいつか書きたいです。

(こりないねえ( ̄_ ̄ i)