〈くまのひとりごと〉



8月の緊急入院と

11月の手術による入院で

感じたことがありました。



抗がん剤の点滴治療をしてる人が

隣のベッドで普通に

入院してるということです。

いわいるがんサバイバーさん達です。

がんサバイバーて言葉は適切なのかな?



わたしも両親を

二人とも癌で亡くしてます。



父親はまだコロナが流行る前で

普通に入院退院を繰り返しながら

抗がん剤治療をしていました。



最期、亡くなった後

病室から出て、病棟を出る時の

人払いをして看護師さんだけに

してくれたあの光景は今も

鮮明に覚えています。



母親はコロナが一番ビークの時に

担当主治医がいる病院で

大規模なクラスターが発生して

病院が閉鎖となり

ちょうどその時に母親が

自宅で貧血で倒れ救急搬送しようとしても

受け入れてもらえず

そのまま、在宅医による在宅医療に

せざるを得ませんでした。



母は治療という治療を受けることが出来ず

ひと月経たずに亡くなりました。



その時に受け入れてもらえてたとしても

そのまま病院で最期を迎えたかも

知れません。



両親の癌の闘病は

どこか他人事のようでわたし自身が

リアルに受け止めることが

出来ていませんでした。



どこか諦めのようなものが

あった気もします。




8月の入院の時

たまたま同室になったKさんと

話をするようになりました。



そのKさんは癌と闘っていました。



わたしが入院した時は会話も

しっかり出来て

トイレやシャワー浴も一人で

出来ていました。



ただ

退院直前の抗がん剤治療で

一気に具合が悪化して



病院側は

『退院を少し延ばしましょ』


Kさんは

『家に帰る』



とギリギリまで点滴をして

なんとか車椅子に座れるくらいにまでに

なって退院して行きました。



去り際にわたしに

『またね!』

と一言残して行ったのでわたしは

入院という形でまたの再会は

無いよという意味で

『病院でまたねは無いよ!』

と返しました。



でも

11月の入院でまさかの

その『またね!』があったんです。



同室ではなかったのですが

廊下を歩いてた時に

聞き覚えのある着信音が聞こえて

名前を確認したらKさんだったんです。



同室でもないし

体調もあまりよくない感じだったので

話しかけるのをその時は控えました。



次の日の日勤の担当看護師さんに

『Kさん、また入院してるんだね』

って言ったら

その看護師さんは

わたしの前回の入院時の

Kさんとの会話も覚えていてくれて

その日の午後にKさんに会わせてくれました。



その看護師さんからは

『Kさん、今回はお家に帰れないかも

しれないかな』と聞かされていました。



会って少しだけ会話を交わしました。

ハキハキと声の通ってたKさんが

呂律もよくなく、聞き取りも

あまりよくありませんでした。



Kさんの病室を出てから看護師さんが

きつい薬を使って痛みを緩和してるから

呂律や聞き取りにも影響してると

聞かされました。



わたしは

その翌日に退院しました。

それから10日が経ち

その後のKさんのことはわかりません。



もっと頑張ってほしい

でも十分頑張ってきたと思う

だからと言ってもう頑張らなくて良いよ

とも言えないのがもどかしい・・・



どうか、痛みを和らげ少しでも楽に

少しでも長く居てくれたらなと思います。