銀色タペストリー(7)


連載エッセイ◎第7回

銀色タペストリー

素肌が夏の熱気を少しずつ忘れかけていく。両手いっぱいの思い出と、お祭り後の奇妙な平静さと。

住む部屋を変え、5年間の芸能活動にこの8月で、とりあえず休止符を打つことになった。それがどういうことなのかは本当のところよく解らない。

今後どのような生活を送るのか、謎は深まる秋の始め

こんにちは、河合その子です。

 今回は、先月号で少し触れていた”夏の引越し大作戦”について書きたいと思います。なにしろ私にとっては久々の一大イベント! だったのですから。


 1ヶ月近くかけてダンボールに少しずつ詰めていったり、自分の車で先に運んでしまえそうな物は何回かに分けて先に運んで行ったりしてはいたんですけど、やっぱりイザ本番! となると、なかなか大変だというのが良く解りました。ホントに。


 まず、ある程度整理した所で、引越し屋サンの営業マンが見積りに来てくれたんですけど、この人が結構しっかりしてそうな人で、”よしよし、これなら大丈夫”とか思ったんです。ところが、しばらく話してると”本人をこうして前にすると云々”とかなんとか始まっちゃって……。”マズイなぁ”と思いながら、見積り書の一番上をチラッと見たら、そこにしっかり”河合その子”って私の名前が書いてあるんですよ。もう、ひっくり返りそうになりましたね、私は。


 ”アノ芸能人の河合その子かなぁ”なんて思って、来たんでしょうか? 後日、引越しの本番の時にも、運転手さん1人と作業員の人2人という話だったのに、6~7人の知らない人が入れ替わり立ち替わりやって来るんです。”何でこんなに人が来るんだろう?”とその時は思ったんですが、あとでウチのスタッフ曰く、”芸能人の生活に興味があったんじゃないの”とのこと。ふ~ん、なるほどね、なんて思ってしまいました。でも、”芸能人って割と質素な生活してるんだな”と思われたりしてね。


 引越しの本番は、7月中旬の大安の日でした(割と私は、こういう点にコダワったりするのです)。大がかりな引越しをした人が周りにいないので、私は割と気楽に考えていたんです。”まぁ一人だし、荷物も少ないから簡単にすむだろう”と。


 ところがどっこい。まず私は引越し先での家具の配置を全く考えていなかったんです。運んでもらえばそれでいいだろう、と思ってて、”とりあえずその辺の壁に寄せておいて下さい”って言って、家具を適当に壁に寄せておいてもらったんです。


 とんでもないですよね、こんなやり方って。後で配置替えのために、イザ自分で動かそうとしたら、これが凄い大変。ライティング・ビューローなんて、男の人3人がかりでやっと運べるっていうくらいのシロモノですから。頑張って床を引きずって動かしていたら、腰が痛くて熱が出そうになっちゃいました。


 引越しの時に使ったのは4トン車1台でした。後で”ホントは2トン車で良かったんじゃないの?”って、いろんな人に言われたんですけど、いやはや全くその通りです。


 ムダな物を捨てるいいチャンスだったんですけど、イザとなると”もったいない病”が始まっちゃって。”あっ、これは何かに使えるかもしれない♥”なーんて、次々ダンボールに詰め込んでいったら、最後には膨大な量となっておりまして。詰めてる時は全然解ってなくて、運んでいる時もあまり気にしていなくて、、運び終わってみると部屋の中はダンボールの山、山、山。”何がそんなにあったんだろう?”と思って、後で整理してみたら、ほとんど捨てる物だったんです。



 一生懸命書いた譜面、カセットテープ……凄いのは、片方だけになっちゃったソックスだけで、何と1箱分あったこと。でも、ソックスとかって、後でどこかからもう片方がひょっこり出てくる可能性があるんですよね。だから、とりあえず取って置いてはみたんですけど……やっぱりムダでした。


 それと、母が買ってくれた物干し竿! ”あれ持って行ってね”と言われていたので親孝行のつもりで持って行ったら、短くてかかんないんですよ。今度のマンションのベランダっていうのがやたら広くて、とてもじゃないけどっていう感じ。これも新居では、役に立たないサンとなってしまってます。


 でも、この引越しのために荷物を整理していたら、いろーんな懐かしい物を久し振りに見つけたりして。思わず見入っちゃって、片付けの手が止まっちゃう、なんてのが、たびたびありました。


 2~3年前の物でも、”へ~ェ”なんて感心しちゃうんですよね。たとえば、団体の時のアルバムとか……。”メリー・クリスマス・フォー・ユー”っていうピクチャー・レコードがあったのを、皆サン覚えているかなぁ? CBSソニーの子だけで作ったアルバムで、全員サンタクロースのカッコして屋根の上に上っている図なんですけど。これを見て、私は飛んだ! いやー、凄いモンがあります。


 あと、品川プリンスでやった、ファースト・コンサートのパンフレットも出て来ました。考えてみると、20歳くらいでしたよね。あの頃は。短パンはいて大きなリボン付けて……今思うと、情けないなー、とか。一生懸命だったんですけどね、私自身は。


 なんだかんだ、すったもんだの末に、ようやく新居での生活も落ち着いてきました。嬉しいのは、このマンションから何と多摩川の花火大会が見えたこと! 凄い感激しちゃって、近所の友達みんな呼んじゃいましたよ。打ち上げられた花火に、”多摩川の花火ある限り、私はここから引越さない!”と誓った私です。


 ところで。突然ですが、皆サンにお知らせしなければならないことがあります。FCに入っていて下さった方は会報の誌面の方で、もう知っていらっしゃると思いますが、私はしばらくの間、お仕事をお休みさせていただくことになりました。


今の世界から離れた所で、私なりに過ごしてみたいというのが、その理由です。


 もちろん、”引退”ではありませんので、その点はどうか心配なさらないで下さい。


いつか、また皆サンにお逢いできる日は、必ず来ると思います。


お休み中の近況などは、このエッセイの中でお伝えしていきますので、もうしばらくは誌面を通じてのお付き合い。宜しくお願い致します。

河合その子

Sonoko Kawai

決して引退ではないんです」 

と打ち合わせの折に話してくれた。 

とりあえずの目標だった 

全曲自作のアルバムとライブとを 

今年に入って果たしたことを 

この5年間のひとつの節目と考え、 

ひとまず完全に仕事を休止して 

別な生活を体験してみたいという。 

(ちなみにこの連載は 

どちらかというと趣味の領域、 

ということで続行します、念のため) 

今までの事務所を離れることで 

FCも活動を停止してしまうため、 

河合サンへのお手紙等は当面の所 

編集部気付で受け付けます。


〈ひとりごと〉

何から話せばいいんだろー・・・

ファンクラブの活動停止、、、ショックでした

その後は、解散という流れだったような気がする。

あの頃は、しばらくしたら、また会える、歌が聴けるって、本気で思ってました。って言うか今でも本気で思ってるけど・・・

1986年3月21日リリース
『河合その子』第3段シングル
1986年 年間ヒットチャート第10位
YouTube『fusigino kobayashi』2014/9/5公開


作詞:芹沢類  作曲:河合その子  編曲:後藤次利
1988年リリース『Dedication』収録
YouTube『fusigino kobayashi』2014/8/29公開

fusigino kobayashiさん
『SONOKO KAWAI 魅力再発掘プロジェクト』
もうされないのですかね???
フシコバさんの動画、凄く素敵で好きなんだけどな~