銀色タペストリ(1)

連載エッセイ◎第1回

銀色タペストリー

心模様はつづれ織りのよう。あちらこちらへ漂ううちに、いつしか時間を縦糸にして、ひとつの絵を織りなしている──。
たとえば、あの雨の日の想い出は、さまざまに波紋を描きながら、共鳴のように重なり合って、気が付くと不思議なハーモニィを描き出していたり、
 自分のなかの、でこぼこしていて好きになれないような気分の泡でさえも、時のまにまに幻想的な色彩えと変わる。
 あらゆる自分の断面が、1枚の織り物の横糸として、それぞれの場所を見つけ出している──。

河合その子Sonoko Kawai
1965年6月20日、愛知県生まれの双子座・B型。1985年9月1日にレコードデビュー。
今年の4月21日に作曲をすべて自ら手がけたアルバム『Replica──雨の日の私──』をリリース。
今月号からしばらく連載を予定しているこのエッセイは、
毎号、その時々の気分のおもむくままに話題を変えてゆくフリーな形式で、
彼女の様々な体験や想いを綴ってもらいます。

 TYO読者の皆さん、こんにちは。河合その子です。今月から、TYO誌上で私のエッセイを連載することになりました。編集の方の”何でもアリだから”という言葉に甘えて、気ままに綴っていきたいと思っています。
 でも、正直言うと苦手なんです、こういうのって。私、文才ってホントにないんです。人と話をする時も、頭で考えて言葉にするだけでも凄い大変。なのに、その言葉を文章にするなんて……。
 子供の頃から作文は嫌いで、自分の身の周りにあったこととか書くのが、そもそも苦手なんですよね。詞が書けないのと同じことで、自分がどういう感性をしているとか……。心の中をグッとえぐり取られて、それをあらいざらい見られている感じがするのが、凄いダメなんです。それに、文章って一方的なものだし……。
 だから、最初このお話をいただいた時にはかなり抵抗がありました。文才はないし、月イチで必ず面白い話題があるかどうかわからないし。
 ただ、他の人に言わせると、私の場合”普通の生活のようでいて妙な行動””言葉のたとえが変で面白い”というのがあるらしいんです(?)。
 じゃあ、いっそ、それを書いてみようか、と。私の日常的なことや、それにまつわる裏話とか……。ですから、話題は毎回変わりますので、念のため。
 そして、読んだ人が”これって違うんじゃない?”とか”ダサ~イ”とか”あ、解るな”とか思って、それぞれ感想や意見をお手紙にでも書いて下されば、私がペンを取った意味もなんとなくあるのかな、っていう気がしてくるというものです。
 まぁ、私のことを解ってもらうというより、良いにつけ悪いにつけ、私についてのひとつの参考文献というか、標本箱のような物になれれば、それでいいと思っていますので……。
 これからしばらくの間、お付き合い下さい。


 前置きが長くなりました。ここからが本題なのですが、とりあえず第1回目というコトで、自己紹介的なものから始めてみたいと思います。コホン。
 私は5年前から、この世界に籍を置いています。”おニャン子クラブ”というグループがありまして、そこから第1号でデビューしたのが、そもそもの始まり。だけど、トシのせいもあって……当時、実は、私はすでに20歳。やっていくうち、何か辛いものを感じるようになっていたんです。
 もともと私は、芸能人になりたいという気持ちは全然なくて、地元で就職も決まっていたから、好きなワープロの仕事をやっていくつもりでした。ところが、その頃にCBSソニーの方から”おニャン子クラブっていうもののオーディションを受けてみない?”と誘われて。それ自体には、興味なかったのだけれど、ただ”芸能界って怖い所だから、断って何かやると嫌だな”っていう理由から、じゃあ1日で終わるなら……っていう事で東京に出て来たんです。
 それこそ、下着の替えもワンセットしか持たないで、”せっかくだから原宿にも行ってみようかな♥”なんて考えながら、気軽に上京したんですよ、その時は。
 それが、オーディションまで1週間くらいあるというので都内にあるCBSソニーの寮に泊まることになってしまったんです。どうも考えてたのと違うなと思ったんですけど、そこで友達(城之内早苗ちゃんです)もできたし、寮に住めるし、毎日ゴハンはおいしいし、好きなコトできるし……で、面白がっているうちに、アッという間に時間が経って。
 それで、オーディションの前日に実家に電話したんです。”明日から始まる番組の中でテストがあるんだけど、終わったら帰るから”ってね。だけど、帰してもらえなかったんですよ、これが。
 3日目くらいに、”どういうコトなんですか、これは?”って、番組のスタッフの人に尋ねたら、”金曜日まであって、そこで結果を発表するからサ”なんていう言葉が返ってきて。イヤ、さすがに怒りましたねー。”親にそんな話はしていないんで、困ります!”って。でも、とりあえずここまで来てしまったからっていうので、仕方なく金曜日まで出ていたら、オーディションに通っちゃって……。その瞬間から私は、”おニャン子クラブ”のメンバーになってしまったわけです。おニャン子クラブに入ってからのことは、皆さんよくご存じなのではないでしょうか。
 私の父に言わせると”半ば誘拐された”ような、芸能生活の始まりでしたから、いずれ気持ちのなかでムリが出て来るのは当然といえば当然です。あの頃は大人の世界に出て働いたっていうことがなくて、大人との接点は”先生に言われて何かをする”っていうくらいしかなかったから、大人の言うことは聞かなくちゃいけないんだ! と、ずっと勘違いして過ごしていたんですねぇ。
 それが、おニャン子を卒業して一人でやっていくうちに、だんだんといろんなことが見えてきたんですよね。そのなかで、今自分がやっていることは何となく違うような気がする、このままだと感覚がマヒしてしまうんじゃないか、普通の世界が解らなくなってしまうんじゃないかって思い始めて。そして、周りに相談して、”研修期間”という名目で、しばらく活動をお休みして……自分が本当は何がしたいのかということを、じっくり考えてみました。その結論として出てきたのが、自分で曲を作ることや、自分のペースで活動をしていきたい、ということだったんです。
 今回、念願の全自作曲によるアルバムを作りあげることができました。地味でもやりたいことをやれる充実感って、いいものですよ。
 今回は、少しカタイ話になってしまいました。次は少し軽目の話にしようかな……。
では、また来月、お会いしましょう。  


年末のライブを終えたばかりの楽屋裏。
彼女に会ってこのエッセイの話をもちかけたのは
それが初めてのこと。少し上気した肌と興奮の色が残る瞳で彼女は控室の扉の向こう側に立っていた。心はまだステージの上をさまよっているのか話を切り出しても不思議そうにきょとんとしていた。曲を書く彼女があえて文章を書くというところが面白い。そんな思いに把われ年明けに再び会う何が起こるかユニークな期待をふくまらせながらのスタートとである。(編集ノオト)