AIと将棋ソフトに関するテーマは、今回で8回目になりました。このテーマに関しては、一段落ついたので、これで最後にします。最初に、知らないないことばかりだったので、以下のことについて、調べることにしました。

  1. 将棋ソフトが飛躍的に進化する要因となった学習法と学習量について
  2. 将棋ソフトの解析により、なくなった(先手有利の結論が出てしまった)戦法はあるのか
  3. 将棋ソフトから見て、先手と後手とでは如何ほどのハンディがあるのか(先手の勝利期待値は如何ほどか)
  4. 将棋界の未来について

1~3は、結論が出ないまでも、調査した内容に関しては、満足しています。今回はNO4についてです。「将棋界の未来」とは、私の中では「プロ棋士の存在意義」を意味します。

これほどソフトが強くなった将棋の世界で、プロ棋士の存在意義は一体どこにあるのか。この難しいテーマに、佐藤名人(当時)が下記の様に答えています。

『人工知能が人間の強さを上回った。人工知能の方がすごいのではないか』という価値観の転換が起きてしまいそうになると思います。けれども、人工知能が強さを獲得する過程と人間が強さを獲得する過程は違いますし、同列には語れないものです。『人工知能の方が強くて人間の方が弱いのだったら、人間にはもう価値がない』のではありません。評価の軸が違う以上は、その価値観は両立できるし、どちらも別の軸として立つことができると思います。

私の考えも、これに近いものがあります。そもそも人工知能も将棋ソフトも人間が創造したものです。従って、どんなにそれらが進化して、知能で人間を超えたとしても、人間そのものは永久に超えられない。そして、落胆したり卑下することはなく、これまで通りのままで良い、というのが私の考えです。

参考にした本の一節を紹介しておきます。

棋士たちがぶつかりあう盤上には、勝負に懸ける情熱や苦悩が集約され、時にはその棋士の人生が垣間見えるような一手も放たれる。人間同士だからこそ生まれる感情のやりとりや勝負の機微の魅力は、おそらくどれほど人工知能が強くなったとしてもお色褪せることはない。