dakoさんの「育児オトコ」への道。の親としての責任。から、トラックバックしてきました。

親としての責任、って、なんでしょうね?
子育てをしている人は、いつも考えていることの、1つでは無いでしょうか?

dakoさんは、
「子供が一人で生きていけるようにすること」
が、最低限の責任と考えているそうです。
自立して自分の足で人生を切り開いていけるようにね。

究極を言うと、そこに行き付きますかね。
基本的に、私も同感です。

これって、むしろ、最高の目標ではないでしょうか?

しかも、これって、とっても、漠然とした目標ですよね。
実際の子育ては、待ったなしで、どんどん進んでいきます。
具体的に、行動を起こしていかなければ、なりません。

しかし、親が、将来のビジョンをどのように描くかによって、
「1人で生きる」
ということの、内容が、まったく違ってきてしまいます。

例えば、
日本国政府が、破産したら?
例えば、地球規模の天変地異で、現在の環境が壊滅状態になったら?
または、コンピューターに、のっとられたら?
戦争に巻き込まれたら?
・・・・・・

まったく、違ったスキルの習得が必要になりそうです。
その状況に適した、性格や、思考、行動は、当然違ってくるだろうと、思います。
それを、予想する段階で、すでに親の意思が反映されるでしょう。

この子は、こういう子だから、将来こんな風になって欲しい。
そのとき、世界は、こうなっていて、そのためには・・・・
多かれ少なかれ、やっぱり、みんな、予想しているでしょう。
そうして、現状で最適と思うことを、していくでしょう。

親だもの、もちろん、そうします。
でも、それは、あくまで、おまけのオプションです。

親は、普通、子の最期まで、そばにいて、見守ることは出来ません。
直接的には、そういうことになります。

しかし、子にとって、たとえ親がいなくなったあとでも、(あるいは、そばにいれないときでも)
「親に見守られている」
「いつも一緒にいる」

と、いう気持ちを抱かせることは、出来ると思います。

それが、どういうことか?
私は、
「親の価値観を伝える」
ことだと、考えています。

つまり、親の価値観、判断基準などを、具体的に、みせていくことが、親の務めではないかと思います。
この世の中を生きるために、直接影響することから、ほんとに、どうでもよいような事も含めて、いろいろなことを。

そうした、具体的な価値観を、どれだけたくさん与えられるかが、私の役目だと思います。
その価値観が、

幼い子ども時代、初めて社会に出て行く段階では、「親の価値観」が、直接の助けとなり、

思春期を迎えるころには、確固たる反抗の対象として認識される、自分の中にある「親の価値観」となり、

大人になってからは(子供自身の価値観は別として)、懐かしんだり、ふとした瞬間に染み出してくる、身近に感じる「親の価値観」になっていくのではないかと、思っています。


つまり、親の役割って言うのは、時として、変化していくと思うんです。
父と母の得意分野で、役割を分担するのも良いと思います。

ただ、親の価値観というか、判断基準みたいなものを与えていくことが、親の責任なんじゃないかと考えています。

ちゃんとした、基礎さえ与えられれば、後は、自分で育っていくものですよ。
広く、しっかり根を張ってね。
親は、苗床みたいなものですかね。
肥料は、一度にやっても、少なくても、かれてしまうでしょう?
押し付けじゃなく、自然とね。
だから、いつも、一緒にいることが大事だと、考えています。

そう思うから、うちはいつも、子どもと一緒ネタです。