個人的に本当に疑問に思うことがたくさん有ります。
今回はちょっと重い話題かもしれません。
見たくない人はUターンなさってください。
あと多分長くなるので…
正直読んでて内容的にも面倒臭いと思います。
ちょっとスクロール改行多目に空けておきますね。
さて、疑問に思うことですね。
まず一つ『優しい』とはなんだろうか。
今日たまたまバイト帰りにトータス松本さんの「ストレイト」を聴いていました。
そのストレイトの歌詞の一部。
優しさってなんだろ?誤魔化す事じゃないぜ
という部分が有ります。
私は何故か優しいとよく言われます。
実際優しくはないです。
基本的に自分のわがままに基づいて許容するだけ。
つまり誤魔化してるんですね。
自分の本当の優しさは大事な友人、恋人、親にしか注ぐつもりは無い、と言うのもわがままなところです。
飽くまで“自分の”ですよ。
許容するだけで『優しい』となるんです。
そりゃまぁ許容する範囲は広いと思います。
余程弱ってない限り、大抵の事は受け入れますし…
でも、それは優しさではなく受け止めるだけなんです。
許容なら誰でも出来ると思います。
気にしなければ良いだけですから。
私自身の考える優しさは「許容と限定」だと思います。
許容する全範囲の中に限定ラインをもう一つ引く。
二重丸◎みたいな感じですね。
この内側の丸から外側に行った人が大事な人達だった場合、叱ったり意見を言ったり。
が、言い方は悪いですが大事な人達では無かった場合は許容したまま。
私自身つい最近友人に言われて何となくですが理解しました。
許容するだけが優しさじゃない。
確かに思い起こしてみると大事な人達には叱ったり意見をぶつけたりしてるんですよね。
あー、そんな感じかぁ…とうっすらですが判ったような気がしました。
ここの理解の辺りは何とも口では言い表せません。
人それぞれ理解の仕方も受け取り方も考え方も違うので…。
下手に色々言うと、混乱するでしょうし、私自身のボキャブラリーも足りないので…(n;‘∀‘)η
次に『頭が良い』と言うのはどういうことか。
自慢のように聞こえますが、と言うか実際嬉しかったので自慢ですが(*ノノ)
これも言われた事があります。
なかなかどうして“頭が良い=成績が良い”とされる事が有りますよね。
それは違うと思うんですよ。
成績が良い、と言うのは頭が良いんではなく“記憶力が優れている”事だと思うんです。
頭が良い、と言うのはその記憶の先にある応用の部分になるんじゃないかと。
学校の勉強は毎日教科書読んで板書をとって予習復習をすれば成績上がります。
これは反復によって記憶をしているから、ですね。
では、応用をする、とは?
数学だと公式を使って解く手順は普通ですが、逆に答からどの公式で表すか。
歴史だと、その時起こった事から正しい歴史認識をしそれを人に伝えれるか、などですね。
否定と同意、頭の回転の速さ。
この辺りが頭の良さなんだと思います。
選択肢は無数に有るなかで必ずしも正しいという選択は無いと思います。
その中で最善に近い選択をほぼ毎回選べる人が頭が良い人なんでしょう。
当然そんな人は居ないと思います。
私の場合ですが、常に疑問を持って行動をするようにしてます。
この行動で正しかったか、この言動で誰かを傷付けてないか、これはどういう事だろうか。
知識自体は持っていて損になるものではありません。
但し、持っている知識に対して疑問を持つことが大事かと思います。
それを誰かに披露し間違っていた場合、素直に「間違っていた、ごめんなさい」と思い、言える心構えも当然必要になります。
自分の非を認めれる、と言うのも頭の良さの条件かもしれませんね。
TVやインターネット、新聞、雑誌。
情報媒体が多い中、色々な見解・思い・認識を見て、その中で取捨選択をし、知識を高めるとまた違う世界が拓けるかと思います。
私自身まだまだ精進は足りませんけどね。