私が住む和歌山では、何年か前に所謂和歌山ラーメンの超有名店が飲み残しの汁を回収して使うというとんでもない事件があり、行政処分を受けましたが、今では再び行列のできる状況になっています。事件を起こしても罪を償えば許される、それはいいことかもしれませんが、時間が経てば世間もそれを許してしまうのでしょうか。県知事の収賄事件もありました。本人は散々叩かれ、再起不能でしょうが、選挙の際に彼を推薦した人は今も政府の要人に入っています。我々県人はその推薦によってだまされたのも同じで、その罪は深いと思いますが、責任は問われないのですね。これが現実です。本人も恥ずかしくないのかと思いますが、時々テレビで姿を見ると腹立たしく思います。

不二家でもISO認証を受けていたそうで、厚労省が認証機関に対して再調査を指示したと報道されています。しかし、私はまたまたおかしなことを演じているなと思わざるを得ません。何故かって?私が勤務していた某大手油脂会社ではISOのことをUSOと呼ぶ人がいると聞いています。今でも、です。USOは「ウソ」と読みます。まずいことはISOの文書に初めから入れないのです。そうすれば認証がスムーズに行くし、その後の定期チェックでも文書化されていないことはチェックの対象にされず、問題が表面化しないからです。また、認証機関も今では星の数ほどあり、互いに企業活動として競合しているわけですから、ユーザー企業に対して厳しいチェックをするわけがない。また、認証の担当者にも大した知識や洞察力のない人が多く、隠れた問題を見抜く能力を欠いている人も多いと聞きます。そういう担当者をチェックすること自体が出来ないという現実もあります。このような問題は厚労省は勿論知っているわけです。そんないい加減なシステムを後押ししながら、問題を起こした後になってその企業を徹底的に叩く・・・これが役所の仕事ですか?例の建築基準法違反事件と大して違わないことです。

言いたいことは、後になって揚げ足をとって痛めつける・・・そういう体質が世間にはびこっているということです。確かに不二家の姿勢は消費者の不信を買うもので、その結果不二家が潰れてしまうことになっても止むを得ないでしょう。しかし、考えてみてください。誰が何を基準に消費期限や賞味期限を決めているかを。不二家は消費期限の過ぎた原料を使ったことで責められていますが、消費期限自体にどれほどの根拠があるのでしょうか。食品衛生法では、「定められた方法によって保存した場合に、腐敗、変敗その他の品質の劣化に伴い安全性を欠くこととなるおそれがないと認められる期限」と定義されています。従って、その保存方法によっては消費期限を過ぎても問題ない場合もあればその逆もあるということです。その日付自体にそれほど意味があるものではないのです。不二家の犯した?問題は、自分で決めたルールを守れない会社であるということでしょう。

雪印の場合は、菌が毒素を出したために、その後に殺菌しても毒素は残り、それが消費者の口に入り、実際に障害を引き起こして事件が表面化したわけです。毒素が出ていなければ、わからなかったかもしれないのです。私が知る限りですが、大豆タンパク質を作っている工場では、その生産工程の中は菌だらけだそうです。タンパク質は腐りやすいためです。しかし、最終的に殺菌して製品を出せば、毒素さえなければ表面上は問題が出ないのです。勿論タンパク質の内の幾分かは菌の死骸のタンパクですが・・・これだって、事故を起こさない限りは社外の人には知りようもないし調べようもないことです。極端なことを言えば、腐った原料を使って料理を作っても、食べた人にばれなければ責任は問われないのです。仮に、腐ったものを原料に使わないという内規があっても、少なくとも社外の人から問題を指摘されることはないでしょう。要は、それを知っている人が行動を起こすか否かですが、残念ながら不二家のトップのようなことは多くの会社のみならず、世間で現実のことになっているのでないかと思っています。武士道? どこに行ってしまった??要領よくこなすことの出来る人が会社や役所のトップになっていくのもまた現実。困ったことですが、世間は結果的にそれを許している・・・そう言わざるを得ないように思います。それにしても、自分の言動に責任を負わない人がどんなに多いか。そんな人ほど上に上がっていく現実を皆さんはどうお考えでしょうか・・・

あまりいろいろなことがダブって腹立たしくて、つい長文になりました。