凄い雨ではありましたが

三女さんは娘が手足口病になってしまった為

参列は出来ませんでしたが

ぱぱさん 長女さん 次女さん

そして娘の私が喪主をつとめさせて頂き

家族の力を借りながら 

父親の葬儀を無事に終える事が出来ました

自分主義な父親でしたので

最期はきっと自分が描いていた最期では無かったかもしれないけれど そこはごめん。

でも きちんと やるべき事はやったつもりです

父親が最後に入院していた

白岡の認知症病院は私的には最低な病院です

だから 

私の手をもぎ取れるぐらい握った時には

本当に痛かった

口元も多少動いていたので

きっと何かを私に伝えたかったのではないか

それが聞き取れなかった事は

心残りではあります

四十九日…

10月半ばぐらいになると思いますが

それまで納骨まで 

我が家でゆっくり過ごして下さい

多分 憎たらしい私の私らしい姿を

思う存分 見れると思うよ

あの世で7日ごとに

極楽浄土へ行けるかの裁判が行われてるから

最後の判決の日 四十九日までは

父親も気持ちは落ち着かないかな…


父親の為に ありがとうございました。