続き


この頃は、毎日が忙しすぎて頭がおかしくなりそうでした


しかし工場の作業員の面々も一部を除いては協力的な姿勢になってくれていましたが、一部の者からは、自分がしている運送を会社の経費で観光旅行しているなどと陰口をたたかれていました


それでもやり抜く覚悟で頑張っていましたが、今度はついに工場の設備が限界を迎え始めていました


工場の設備が限界を迎える年数というのは様々だとは思いますが、A社のような業界だと20年程度で機械の大半を入れ替えるのが通例のようです


A社は操業開始から20年以上経過していて、設備は故障が目立っていました


これは製品のクレームがあり、工場の担当者の1人1人と面談を行い発覚したのですが、機械のメンテナンスを長期間怠っていたようなのです


この時期に、地元の大きな企業がA社周辺の土地を買い占めており、A社周辺を開発する構想を練っていたようで、土地の売り渡しと立ち退きを打診されていたようです


移転先が見つかり、工場を立て直し、機械を入れ替えるとしたら少なく見積もっても総額13億円は必要とのことで、移転の件、機械の入れ替えの件どちらも頭の痛い話しではありました


それでも製造している製品の製造を続けることや進化開発に13億円を投資するのは価値は十分あり、将来性はあったと自分は考えます


A社の社長も移転、工場建て替えの方向で考えていて構想を色々と練っていたようです


しかし状況を一転させたのが、まずコロナ禍でした取引先が次々と休業や廃業に追いやられました


さらにロシアとウクライナの戦争がトリガーになったとも言える世界的な物価高も大ダメージとなりました


A社の建築部材部門の売り上げの1/3を占める取引先が一旦建築関係から手を引きました、さらに他の取引先も休業や廃業していく会社が増え売り上げは激減しました


せっかくピークの頃に戻りつつあった売り上げも1/5程度まで落ち込みました


そしてこの時期に1番辛かったのは、ほとんど何も出来なかったということです


コロナ禍の移動制限などもあり、都市部への訪問営業は、当面の間は禁止と経営陣の会議で決定し、通達されました


この頃の私に出来る営業は、DMを送ったりHPを作り直したりすることくらいでした


そして移転による建て替え案は一旦白紙に戻されました


そしてこの時をチャンスとNo.2のY氏のクーデターが加速していくのです


                    続く