>人生の最終章を大切にするための医療は、ひと
りひとりのサイレント・ブレスを守る医療だと思
うのです。
著者 南 杏子
ブロ友さんの記事からコピーさせて頂きました。
勝手にすみません。
というのは 去年ご主人を自宅で看取った友達のことを
すごいな~って感じてたのです。
そこにこの記事が目に入りました。
認知の義母さんからの想像以上の仕打ちをされながら
同時にご主人の看病をされたのです。
終末医療って「痛み取り」しかないのです。
朦朧と相反する「攻撃型」になるとどうしようもないそうです。
私ならできないと思いました。。
いやできない
最後は「家で」が願いだったようです
なので病院では治療できないとわかると自宅に帰りました
そこからは長くなるので書きませんが
とうとう旅立っていかれました。。
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父はデイに通う日々を送ってます
この酷暑のなかしんどいだろうが、向こうに行くと天国だ
と思っていたが
実は気が休まらない?ほっとしない? (うっそぉ===)
らしい。
今朝、さあ来たよ~~🚌と言う時、だるいと 横になった
熱中症も流行っているから念のため休ませた
布団に入るときには「やっぱ家が一番いいわ」と。
ところが
しばらくして考えると やられた って!!
確信に代わった
私がいなくなると帽子を被り、
庭に水やりにいったらしく!!
汗をかいただろう 水を飲んでいる父をみた。
ダルメシアンでこんな行動できるかい
(これって昭和?)
おまけに水は滝のように流れっぱなし
サイレント・ブレスで神妙に考えてけど
こういう現実があると
なんでもいいわ==と思ってしまったわ
人間ができていない。。