「かわいそう。は、まだ窓越しだよ。。」

 

 

今日は、本当に久しぶりで。

中学以来会ってなかった同級生に誘われて。。

 

ノンフィクション映画を見てきました。

 

ノンフィクションというより、ドキュメンタリ映画ですね。

 

先日、信仰に関しての思いを書いたきっかけでもあります。

 

 

〜「心に寄り添う。」〜

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あとで見てくれたらわかりますが、

訳ありの映画ではあります。

 

 

でも、僕は前に書いた通り、誰が何を信仰しようと、人々のためを思って行動していることは、すべて善いことだと考えています。

 

 

だから、誘われた時も。

 

 

躊躇なく、一緒に行きました。

 

 

そこを考慮して、素直に映画を見てきて、一つ思うことがあって、そうだな。って思ってたことがリンクした一節があったので、ここでシェア出来たらと思います。

 

 

 

「まだ、窓越しで見てるよ。」

 

 

 

この一言。

 

 

 

今回の映画のテーマは、弱者とどう向き合うか。

 

 

いじめ、不登校、障害と向き合っている人々を介して、我々は何をすることができるのか。どう接していけばいいのか。

 

 

 

そんな若者たちが現場に行って話を聞きに行く映像。

 

 

 

そこの一つの場面。

 

 

 

障害者支援を行なっているNPOの代表の方と、取材に行った学生のお話の中で。(どちらも女性)

 

 

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(小さい会議室の中で椅子を横に並べて対談している様子)

 

 

何かしてあげたい気持ちはあって、どう手を差し伸ばしてあげたらいいのかがわからなくって、でも素直に接することはできている気はしていて。。

 

 

「どんな気持ちで、手を差し伸ばしているのですか?」

 

 

という質問があり、その答えは、

 

 

「あ〜、その答えでいうと、、まず、手を差し伸ばしているって感覚はないよ。いつもむしろ差し伸ばしてもらっているかもね。まず、そこからかな。。」

 

 

「まだ、家の中から窓越しで見ている感じだね。あと一つ、一枚壁があって、そこから手を出そうとしている感じに思う。」

 

 

 

え、、そっか、、その手を出す感覚が、、

 

 

「じゃあ、どうしたらその一枚をなくせますか?」

 

 

「そうだね、やっぱり一緒に生活することかな。その意識を持つところからかな。そしたら、壁も何もなくなるんじゃない。まあ、それを考えることが一番大切ね。」

 

 

 

、、、、。。

 

 

 

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こんな場面があって。。

 

 

ん〜、そこいつも思ってたとこなんだよなって。

 

 

 

こう、手を伸ばす感覚、何かしてあげなきゃって感覚。

 

 

それって、その時点で、相手のことを下に見てしまっているのではないか。無条件に、自分よりも相対的に何かが劣っていて、だから、自分が何かできることはしてあげないと。って。

 

 

でも、その感覚って、自分はどこか違和感があって。

 

 

見下している感じに写ってしまう。

 

 

本人は、そんな感覚はないのはわかっているけど。

 

 

潜在的にはそうなんだよ。。って。

 

 

人々は生まれながらにして、完璧な人間はいない。

 

 

みんな違ったところがあって、、

 

 

お互いがそれを補って生きていくことができる。

 

 

 

そう、補って。

 

 

 

目に見える形で、その弱いところが外にある人もいる。

目に見えない形で、弱い部分を内に持っている人もいる。

 

 

人とは違う部分を、皆が持っている。

 

 

外に持っている人ばかりが、内に持っている人に。

内に持っている人は、外に持っている人ばかりに。

 

 

思いがいってしまう。。

 

 

どうしても、視覚で認識する情報量が多いからであるが。。

 

 

それでも、考えてみればわかることでしょ、って。。

 

 

思ってしまう自分がいる。

 

 

だって、お前も、弱いところあるでしょ。

人と違った部分もあるでしょ。

 

 

なのに、なんで、自分を棚に上げて、人にして上げなきゃって、弱者に、手を差し伸ばすことが正義だって。堂々と言えるの?って。

 

 

まずは、自分も相手も同じ人間で、あって、補い合って生きていく生き物なんだ、って認識からじゃない?

 

 

手を差し伸ばすって感覚がある時点で、人を平等に見ていないって表れだよ。

 

 

自分も学ぶことがあって、助けてもらうことがあって、その上で、自分もできることがあったら、力になる。

 

 

それは、どんな人と関わる時も一緒だよね。

 

 

でね。

 

 

僕がずっと思っていたのが一個あって。

 

 

 

「かわいそう。って思ってしまうあなたが、かわいそう。」

 

 

 

ああ〜、この人たちは、まだ、窓越しで外の動物を眺めているんだ。。なんて上っ面な世の中なんだ。。ただの世間話の一つとして共感している場合のことじゃないよ、、

 

 

 

多様性、ダイバーシティー、バリアフリー、って言葉がなくならない限り、、ほんとの意味での、他者共存は成し得ないだろうな、、って。。

 

 

 

「かわいそう。って思わないで。」

 

 

「出会えてよかった。って。奇跡だわ!って。」

 

 

「ありがとう!って、じゃあ、人生楽しもう!!って。」

 

 

 

宇宙でいったら、ほんの一瞬のそのまた瞬間の刹那に。

 

 

 

同じ時を過ごしているんだからさ!

 

 

 

おお!!やっば!!って。なるっしょ!?

 

 

 

こういうのは、宇宙で解決するのが一番だったりする。

 

 

 

そんな感じで生きている今日この頃なKumaでした。

 

 

 

 

 

言いたいこと言って、勝手に終わるな!!!!!

 

 

みんな楽しく生きていこう。

 

 

では、また。。

 

 

 

Kuma.