自分の体って 調子が悪い時には

だるいなぁ とか 痛いなぁ とか

 

 

眠れない とか 朝起きられない とか

いろいろ 意識をするけれど

 

 

特別 調子が悪くなければ

あるいは 調子が悪い状態に慣れてしまっている

 

 

なんて時には 自分の体に意識を向けることは

まず ないだろう。

 

 

 

 

 

 

だけどなぁ よくよく考えてみるとなぁ

たとえば 自分の脳みそ な

 

 

生まれてから今まで ずーっと

働き続けているんだなぁ。

 

 

一度も 休んだことはない。

もしも休んだとしたら 今 自分はここにいないもの。 

 

 

その脳みそって 誰のために働き続けている?

いくら 旦那が大切な存在だとしても

 

 

いくら 女房が大切で仕方がないとしても

脳みそは そういう他の人間のために 

 

 

1秒たりとも 働いたことはないんだなぁ。

すべて 自分だけのために 働き続けてきているんだ。

 

 

 

寝ている時だって 働いている。

自律神経を 管理しているものなぁ。

 

 

そうやって考えてみると 脳みそとは

ありがたい存在だなぁ って思うんだ。

 

 

 

 

 

 

そうしてな 心臓のことを考えてみるとなぁ

心臓なんて おふくろの腹の中にいるときから

 

 

働いているものなぁ。

そのあとも 生まれてから今まで ずーっと

 

 

起きている時も 寝ている時も

いっ時も 休みもしないで 動き続けている。

 

 

”こいつ 俺のこと酷使しているから休んでやれ”

なんて言う心臓は 一つもないものなぁ。

 

 

どんなに酷使されても 無視されても 

懸命に 働き続けているんだ。

 

 

文句ひとつ 言わずになぁ。

しかも 自分だけのためになぁ。

 

 

”こいつ 人殺しだから止まってやれ” 

なんて言う心臓も 一つもないもの。

 

 

人殺しだろうが 聖人だろうが

そんなことは おかまいなしに 

 

 

ひたすら その人間のために

拍動を続けているんだなぁ。

 

 

 

 

 

 

”けなげだなぁ”

って オレは思うんだ。

 

 

”脳みそだって 心臓だって

自分のものなんだから そんなこと当たり前だよ”

 

 

っていうふうに 考えれば考えられる。

だけど ちょっと見方を変えてみると

 

 

ありがたくて けなげな存在に感じることもできる。

 

 

 

 

 

 

自分を変える という事は

ものの見方を変える っていうことだものなぁ。

 

 

自分の体に対して 自分の見方を変えてみるだけで

世界は 違って見えてくる。

 

 

そうなると 自分の行動も変化してくるものだ。

 

 

だって そんな 有難くてけなげなものを

粗末に扱う訳にはいかなくなってくるものなぁ。

 

 

”自分の身体を 大切に扱おう” って

思うようになってくるだろう?

 

 

そうなんだ 物の見方を変えるっていうことは

自分を変える っていうことなんだ。

 

 

なぁ?

 

 

最後に 幼い魂や弱い動物たちが

痛めつけられない 世の中になりますように・・・

 

 

弱いものを傷つけることで 自分を保たなければならない

人間たちの心が 癒される世の中になりますように・・・ 

 

 

心から 祈る。