※ 「大正×対称アリス all in one」「死神と少女」に対するネタバレ盛りだくさんです。未プレイ・プレイ途中の方への配慮は一切ありませんのでくれぐれもご注意ください。

 

先も見通せぬ深い闇の中で、記憶を失ったヒロインは「アリス」と名乗る少年と出会い、その先に進んだ場所で鏡を見つけます。その鏡の先はまさに反転した世界。おとぎ話のヒロインの名を冠した王子様は一様に心に傷を負っています。ヒロインがその王子様を救うべく奮闘する物語。
 
乙女ゲー界で名作と言われる「死神と少女」のシナリオライターさんの作品だそうで。
絵すっごいキレイで好みー、童話モチーフとかおいしすぎる、とPCゲーム時代からずっと気になっていた作品ですが、分割で販売されているため1本だけじゃすっきりしなそう、PCに張り付くのはイヤ、何よりライターさんが「死神と少女」の方だそうなので、相当クセのある内容だろうなーってことで、vita化するのを待ってました。
薄桜鬼真改みたいな、前編後編で話が1本で解決しないタイプのゲームなのかなと思ってたら、攻略対象が分割されているタイプだったようでした(PC版)。これだったらPC版買ってもよかったなと思ったけど、真相(深層)がやっぱりこのライターさんらしいものだったので、一気にやれるvitaでよかったなぁ、という気もする。ただPC版を追ってた人は物語中に散りばめられた真相へのヒントを考察する時間があって楽しかっただろうなと思える。
 
ほぼコンプ(壁紙の3番目だけ取得できてない)してみて思うのは、「これは乙女ゲーなのか?」ということ。
乙女ゲーがどんなものかというのは個々の捉え方が大きいと思いますが、「ヒロインが恋をしている」状態が乙女ゲーだとしたら確かにこれは乙女ゲーである。
「恋」によって物語が大きく動いていくので、異性の「恋」が主体であることは間違いない。むしろこの物語から「恋」を取ってしまったら何もなくなってしまうってくらい「恋」のウェイトは重い。
ヒロインの「恋」によって物語は始まり、「恋」によって大きく動き出し、最後は結ばれる。これは乙女ゲーにとって欠かせない重要なファクターであり、そういう観点から見ると確かにこの物語は「乙女ゲーム」です。
だけど私はやっぱりこの物語を「乙女ゲームといっていいのか?」と思っていたし、まあそうなると「乙女ゲーとはなんぞや?」ということに論点が摩り替わってしまうのですが、簡潔に言ってしまうと、この「大正×対称アリス」というゲームは「乙女ゲーム」という狭い枠に囚われないノベルゲームなんだろう、と思っていました。途中までは。
 
ここまで書いて、私は乙女ゲーに「夢」を求めているのだなぁと今更のように思いました。
どのシナリオも妙に曖昧な部分が多いことに首を傾げつつ、白雪ルートの辺りからきな臭さが漂い、これはまさに「死神と少女」パターンかなと警戒心MAXで○ボタン連打していた訳ですが。
何しろ過去にイマジナリーフレンドが攻略対象だったライターさんですしね。イマジナリーフレンドとの恋ってある意味究極の自己愛ですよ。物語としては美しいかもしれないけど、それこそ「彼と彼女は結ばれ幸せに暮らしました。めでたしめでたし」を望む安易な乙女ゲーユーザー(私)としてはポカーンとするしかない。まあ死神と少女の時は結構早くから想像が付いていたので「こりゃ恋を楽しむゲームじゃなくてストーリーを追う話だな」と切り替えてたためダメージはありませんでしたが。でもまあびっくりはしたよね……。これってアリなの?と。
はっきり言うと乙女ゲーとしては最大の禁じ手。だって恋というのは自分以外の他者が存在して初めて生まれるものなわけです。その根底を覆す遠夜兄さん(イマジナリーフレンド)の存在はインパクトありすぎた。
ただ、「死神と少女」は最初から何があるぞという怪しさが漂うシナリオでしたが、「大正×対称アリス」はヒロインも明るくてエピソード1(シンデレラと赤ずきん)だけを切れ取れば、ある意味フツーの「少女と青年が恋をする」ゲームなのです。これぞ乙女ゲー的な話の爪の甘い部分あり、強引な力技でハッピーエンドに導く展開ありの甘さもしっかりある内容。ただしヒロインが明確な目的意識を持って動いている点だけが「普通の乙女ゲー」とは異なるだけ。
(しかしその目的はこの段階でプレイヤーには語られない、おそらく百合花本人もこの時点では理解していないと思われる)
まあそんな風に油断させておいてからのエピソード2(かぐや・グレーテル編)で突き落としにかかり、今まで散りばめられた謎解きのエピソード3でプレイヤーを一気に奈落の底へ突き落とすという仕掛けです。実に秀逸。
ただ、死神と少女と同様に、「それは乙女ゲームでやっちゃだめでしょ」な禁じ手を躊躇なく使ってくるので、話の出来云々以前に、完全に好き嫌いが分かれるタイプのライターさんだなという認識を再確認させられました。
今まで紆余曲折を経て心を通い合わせた男性たちすべてが解離性同一性障害によって作られた模擬人格だったって、普通に考えて「そりゃねえよ」と思うよ。魔法使いルートで彼らの(元)主治医との会話で疑惑は完璧に確定へと変わるのですが、その時は私も「うわー……」となりましたもの。
たかが乙女ゲーム内の登場人物、所詮は二次元のキャラクターといえばそれまでですが、物語を追いながら彼らに愛着や情を育てていたプレイヤーの中で、彼らは「個」となっていくのに、終盤で「彼らはゲーム内ですら個として存在していないのですよ」と言われて、がっかりしない人はまずいないでしょう。
 
ただこの物語の秀逸なところは、(プレイヤーの感情移入を阻むほど目的意識を持った)ヒロインを追いかけていくうちに、プレイヤーはアリステアの「パーツ」でしかない彼ら(シンデレラ・赤ずきん・かぐや・グレーテル・白雪・魔法使い)と触れ合いながら心の中で育て上げ、ひとつの「個」として認識してくと同時に、一個人の「パーツ」に過ぎなかった彼らもまた、百合花の提供した物語(分割された愛)によって「個」へと昇格していく、というところだと思います。
(エピローグ内で、現実の百合花ではなく、各々に与えられた夢の中の百合花(分割された愛)を選ぶことこそ、その証拠である)
 
プレイヤー(百合花)によって愛を与えられ、チェスの駒(アリステアの1部分)に過ぎなかった彼らは「個」へと昇格(プロモーション)していく。共感を拒否したヒロインは、ラストでプレイヤーとの同化を果たしているのです。
「これは本当に乙女ゲーなのか?」という疑惑を胸に抱きながら進んでいく物語を追っていくと、それは紛れもない「乙女ゲーム」でした。
これぞ秀逸と言わざるをえない緻密で繊細な物語だったと思います。
 
しかし、エピローグ(アリステア)をやって感じたのは、「これって24人のビリー・ミリガンのオマージュ作品?」ということ。
知らない人は是非ぐぐって頂きたいですが、「24人のビリー・ミリガン」とは23の人格に分裂し犯罪行為で警察に逮捕されたことにより解離性同一性障害が発覚した実在の人物を追ったノンフィクション小説です。
私も学生の頃に読んだだけなんでかなり曖昧ですが、確かこの人も病院で主人格となる人格を人為的に作られていたはず。アリステアにとっての魔法使いですね。
ビリー氏の「教師」(魔法使い)は最初こそ支配力が薄く、主人格となるのは難しそうに思えたけど、最終的にはこの「教師」がすべての人格を支配下に置いてメイン人格になったはず。この人もまた、人格の融合(文字通り溶け合ってひとつになること)はしておらず、主人格以外の人格は深い眠りについた状態となり、統合(メイン人格が他の人格を制御できるようになった状態)しただけで複数に分かれた人格が完全に消失した訳ではなかった。
(本当に記憶がおぼろげなのでwiki見つつ補完しております)
「好ましくないものたち」(危険視される人格)がいるのもよく似てる。自殺を図って身体を危険に晒したり、他害によって自身の立場を危うくさせる人格がいたり(かぐやとグレーテル)。
「24人のビリー・ミリガン」を読んでいた私としては、エピローグのアリステア目線で語られる物語は、リアリティありすぎてぞくぞくしました。アリステアの記憶の空白部分には彼らのあのエピソードが挟まってるんだなーと想像できるところもいい出来だった。

 

まさに「王子様を救う物語」だったなぁと思いました。

つらい過去の傷に苦しむ分裂した人格(アリステアのパーツ)は、お姫様(百合花)の愛によって王子様(個)へと昇格(プロモーション)していく。王子様(個)となった彼らは救い(百合花の愛)を手に入れたことで苦悩のループから解き放たれ、救われ、深い眠りにつく(夢の中で「個」として生きていく)。

慣れた乙女ゲーユーザーにとっては「あるある」と流しがちな、曖昧になってた部分や力技なストーリー展開さえも伏線のひとつにしてしまいっているところがなんとも憎い演出。まさに「すべてがあべこべな鏡の世界」なわけです。考えれば考えるほど奥深いね。

私はチェスはに関してはまったく知らないんですけど、たぶんこちらも駒の役割をしっかり把握している人にわかる演出を仕掛けてあるんじゃないのかなー。本当にどこまでも緻密で、まさに脱帽と言う言葉がふさわしいシナリオです。

 

異様に長くなってしまったので、個別感想はまた別記事で。

しかしこれは真相見る前に個別感想書くべきでした。今書くと真相含めたことしか書けない!