あれからもう何年が過ぎたのだろう。
僕の人生で本当に近しかった二人の人達。
もうその一人には何も伝えられない、伝わらない。

彼が敬愛したパウル・クレーを暗示するようにして、実は、
その彼の人生の内面で果たされることのなかった想いや心の破片、
幾何学模様の中に映し出された心の明暗。

彼のその人生の相似形をこの絵の中になぞらざるを得なかった、
もう一人の作り手が自らを探し出し、その過程を表現していく。

この絵の一つ一つの形と色彩には、それゆえ何の偶然もない。
心の軌跡が長い時間を経て、今も作者の心の奥底で波打つことを
止まず、必然的な形象となり、観者にとっては哀しさと懐かしさの
形象となる。

崩れて落ち行くような、その一つ一つの幾何学模様は、
作り手の精神の緊張と観る者の心の動揺の間で、かろうじて
つなぎとめられているようだ。

 

 

長男の幼馴染み、20年前はあんなに小さくて可愛いかった
ヤコブ君が今日はうちに来て、初めての和食の練習でした。
今はすっかり大きくなって、ご両親の職業を継いで、
フランチャイズのスーパーマーケットの一国一城の主です。

あと、三週間もすれば、長男の浩太 と一緒に日本の春、桜満開の
京都で賀茂川あたりを歩いているかもしれません。

今日の晩、僕は彼に日本の昔からの料理を作りながら、彼の旅の
はなむけに二言、三言。
「いただきます」と「ごちそうさま」
そして「有難う、美味しかったです」
は日本での暮らしの大切な言葉だよ。
「あと、今日は器の持ち方、箸の上げ下げ、
使い方もしっかり練習しておこうね。」

それが日本であれドイツであれ、これからの若い人達に
自分たちが教わったり、経験してきた良いことは、なるべく
伝えていきたいと思う。

いつのまにか、僕もうちの奥さんももう60歳、
それでもこの先10年か20年はあるのだろう。

毎日の生活の中で、愉しいこと、大切なこと。
そういうことを、伝えていきたいと思う。

昨日の日曜日、うちのエファさんが前から楽しみにしていたアフリカの
旅に出発しました。行先はケニア。

首都ナイロビからスタートして、ケニア各地の広大な自然を巡り、
アフリカ、アラブ、イスラム、イギリスの文化が交錯する
歴史的港湾都市モンバサまで。

僕自身は一生知ることもないであろう土地へ、定年を迎えた仲良しの
叔母と約四週間近くの長旅です。

一方で僕が一人にならないように、猫の世話がちゃんと出来るようにと、
ウイーンから試験休み中の娘が戻ってきました。
これは有難いこと!

「無事で愉しい旅になりますように!」

出発前の昨日は慌ただしい中、なんとか三人で南瓜とインゲンの
お味噌汁と簡単な混ぜご飯で夕食を済ましました。

今日、妻を送り出して戻ってくると、その娘がどこからか大きな袋を
取り出し、
「ママからの旅の間の置き土産!二人で淋しくならないようにと、
お菓子やビデオが入っているよ。」
その中には僕が前からどうしても見たかった、それでもいつも見逃して
しまっていた二つの映画、アニメの「この世界の片隅に」と、黒澤明の
「生きる」が入っていました。一体、どこで見つけたのだろう?

四週間居ない間の実務や家事の引き継ぎはつい忘れることがあっても、
こういうことにに気を配り、思いつくウチの奥さん、エファさんは
30何年付き合っても僕には摩訶不思議、おおよそちんぷんかんぷん
だけど、その一方でやっぱりすごい人だ、素晴らしい人だと、
心からじーんとしました。

娘と二人でもう一度、
「グーテ・ライゼ ! 良い旅を❣️❣️❣️

 

 

「春を想うサラダ!」

ちょうど一年前のレシピだろうか。

今年の冬は昨年と正反対。庭の桜の蕾までもうふくらみ始めている。

全くメモを取らないせいか、それとも、夕ご飯の時にお酒を飲み過ぎる
せいか、自分で作った料理もレシピも次々に忘れていく。この世は、
万事無常のこととはいえ、、、。

今年の一年の計は、丁寧に料理を作り、そのお皿のスケッチやレシピの
メモも愉しく、ゆっくり作ること。
万事無常のこととは言え、今、此処に心をこめること。

そんなことを思いつつ、この頃、先ずは積年の課題、キッチンや食材の
大片付け。

過去に向かい合わずば、未来はあらず、、、⁉︎

 

 

 

全長1233㎞、スイスに源を発し、ドイツ・フランスの国境を北に流れ、
ケルン、デュッセルドルフを経て、オランダ・ロッテルダムで北海に
流れ込むヨーロッパの大河、ライン川の冬の風景。

第二次世界大戦後、地球温暖化が始まる前、この大きな川が凍り付き、
「スケートで渡れたこともあったのよ!」
と、ビー玉を引き伸ばしたような、丸くて大きな近眼鏡のキュッパース
のお婆ちゃんが、日本から初めて来た若い学生、下宿人の僕にゆっくり
ゆっくりと話しかけてくれたのは、もう35年程前のこと、、、。
そうそう、話に夢中になると、必ずその大きな眼鏡を丸い鼻の先から
右指でひょいと持ち上げていたっけ。

今日は、雨の日の土曜日。

キュッパースのお婆ちゃんも若い娘さんの頃には春に咲く花のような
姿で、後のご主人と座っていたのだろう、デュッセルドルフの旧市街の
古いカフェ。耳をそばだてれば、ライン川の流れが聞こえてきそう。

久しぶりに座った木の机。壁紙代わりのヨーロッパの美術館の
プラカード。マティスやピカソ、そして、まだそこそこ若かった
ヨゼフ・ボイスも皆、今は故人となり、歴史の墓場の向かうから
ひょっこりと顔を覗かせている。

でも、うちのエファさんは昔も今も僕の前に座っている。
30年前には僕らも手を取り合っていたのだろうか?
今日はだいぶ退屈そう。
キュッパースのお婆ちゃんに初めて紹介した日のことも、
もう覚えていないのかもしれない。

僕は少し離れた席で、二人の「春の日に咲く花」の
昔を想い出している。
秋桜の咲く時はあるのだろうか。。。