明治元年から2年に作られた、明治一分銀のMh型の表面を二重に打った、二重打ちエラー一分銀です。
 
  分の八、銀の上部、下枠、桜などが、上方向にずれて二重に打たれ、重なった銀の字は、銀に見えません。
大変少ないと思います。
  しかし、このようなものを欲しがる人は、殆どいないと思いますが、どうでしょうか。
 
尚、江戸幕府のお金を、明治に入っても作っていたのは、急には代えられないので、
当然の成り行きと思います。
 
それから、蛇足ですが、
 銭形平次の投げた寛永通宝は、明治初期は、1文=1厘で交換されたそうで、
昭和に入っても、税金の納入用? (銀行員の古銭収集家談)として、使われたそうです。
  昭和28年に、厘・銭の貨幣使用が法的に禁止されましたが、文もこの時までです。
しかし、実際には、くず銅として売った方が、桁違いに儲かったから、お金の役割は、既に無かったでしょう。
 
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裏面側は、正常です。
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