「全てが解って、もう済んでしまって飽きたから、次に行こうとしてるところ」
と言う人に今日会ったんですけど……。
「スピリチュアルとかですか?」って聞いたら、「もっと上」、だそう。
この文面を読んでる人が思うと思われることを、私も思っておりますが。。ハイ。
なんなんだろうなぁ。その自信。どこから来るんだろう。何を根拠に、何を拠り所にしてるんだろう。解らない。
でもそういう自信は、本音を言えば私も欲しい。でも残念ながら私には、何かを知ると、必ずそのアンチテーゼのようなものが浮かんできて、それがまたわりと真実っぽくも思えたりするので、矛盾というか葛藤というか、なんかそういうことが起きて、結局、そのこと自体を白紙に戻してしまうところが多々ある。というかいつも。
だけど、一度でもいいから偏ってみたい。と最近思うことがある。というか、偏った世界でしか体験できなさそうなものを、一度か二度でいいから体験してみたい、と思うのです。
でもまぁ、こういうことを思ってる時点で思考の枠内にいる気がするので、その現実が叶えられてるんでしょうけどね。←イミフ?
うーん。
図書館に行くとね、本一冊一冊が、人の脳みそのように思えて、いろんな考えがあり過ぎで、逆に、「自分が良いと思ったものが正しい。正解はそれしかないよ」って思えたりするんです。
そんな感じでね、いろーんな人がいて、いろーーんな考えがあって、それが自分の通常思考の枠を超えた個性だったりすると、もうね、脳が一時停止しちゃって、「あ、もう、とりあえずいいや。いいですいいです。受け入れますよ。好きにして。どーでもいいし。めんどくさい」ってモードになるのを感じます。
私もたいがいめんどくさいですが。^^;
正解が欲しいのかなぁ。。
正解なんてマボロシで、あると思えば至る所にあるし、ないと思えばどこにもない。
とか思いつつも、やっぱりどこかの時点での正解が欲しいのかなぁ、なんて思ったりもします。
株価もね、上がったと思ったら落ちて、小刻みな上げ下げを繰り返しながら、その全体が少し大きな上げ下げになってて、それもまたさらに大きな全体の中の小さな上げ下げなわけでしょう。説明ド下手くそだな。^^;
つまり、フラクタルだと言いたいわけです。ずっと続く。どの時点で見るか、どの視点で見るかによって、上がってると思ってたものが、実は下がってて、ある時点では下がってると見えるものが、引いてみたり、寄ってみたりすると上がってたり。ああ、さらに解りにくい?
でもいいや。
そうやって、上がってるも下がってるもない世界の中でも、どこかの時点、何時何分とか、そういう時点では、ある時点より上がった、下がった、って決められる。そういうね、暫定的だけどこう、っていう正解が、今はちょっと欲しいのかなーなんて、思うわけです。
たいがいイミフかもですが。。 すごい書きたいこと書いた気分です。笑