「夢を叶えるには”行動”あるのみ」
私がずっと信じてきた座右の銘
とにかく、動く、動き続ける、止まらない。
それが、”行動する”ということ。
止まったら何も叶わない。
止まったら全てがだめになる。
そう思い込んで、
時には、猛ダッシュで走り、
時には、バタバタもがき、
時には、ぴよぴよ動き、
時には、よろよろしながらも、
どうにかこうにか
動き続けてきた。
それでも、ふらふらで動けなくなって止まりそうになると、
”止まってはいけない、止まったら負けだ、止まってしまいそうな自分は弱い人間だ”
と自分を責めてばかりいた。
だから、結構苦しかった。
そして、”夢を叶えるためなら苦しいことをするのはあたり前”だと思っていた。
でも、36歳を目前にして、
”いや、それ違うな~”
って何だかふと気づいてしまった。
そもそも”夢を叶える”ということは、自分が”好きなこと”をしたいということの最大限のゴールであって、
(自分が好きでもないことを”夢”に設定する人はまずいないと思うので。。。)
そんな、好きなことをするのに、自分を責めたり、苦しんだりするのって、
"全然、好きなことしてないじゃ~ん"って思ってしまった。
「夢を叶えるためには”行動”あるのみ。」
この”行動”っていうのは、
何も、ず~っと全速力で走り続けることじゃない。
ず~っとマラソンし続けることでもない。
”行動”っていうのは、
走りたい時には、全パワー振り絞って走ってもいい。
でも、疲れたら、ペースを落としてもいい。
そして、動けなくなったら”疲れた~、ちょっと休憩~”って足を投げ出して休んでもいい。
”小腹が空いたからバナナでも食べよ~”って他のことをしてもいい。
バナナ食べながら休憩している間、”ゴールに着いたら何をしようかな~”ってニヤニヤ妄想しているだけでもいい。
”ゴールに着いたらやりたいことトップ10”を書き出してみるだけでもいい。
”今ね~、ゴールに向かってる途中でね~、そのことを考えるとワクワクするんだよね~”って、休憩しているだけにも関わらず、隣の人に夢を語るだけでもいい、
”ゴールへの近道”を探って地図を見てるだけでもいい。
それでも、行き詰ったら、”いや~、もうムリ~、できない~”って地面に転がってジタバタしたっていい。
”行動”っていうのは、
何をしてもいい。
ただ一つ、
”自分のやりたいと思う心、好きだと思う心”を無視しないということ。
それが、休憩したいという心だったり、ちょっと寄り道したいという心だったりしたとしても、
それを受け入れて、楽しむ。
決して”自分を責めないこと”
最大限の”大好きなこと”に行き着きたいなら、
自分の心を無視しない。
自分の心が欲することが今、私がやるべきこと。
そういうことが、この歳になってやっと自然と腑に落ちてきた。
それもこれも、実は、すべて子育てという忍耐力を試される日常の中で学んだたまもの。
”子どもがいると、前ならここまでできたはずの仕事がこんだけしか進まない~、きい~~”ってなったり、
”仕事したい、仕事したい、全力で仕事した~い!! でも、できな~い。しょぼ~ん”ってなって、
”全力で取り組めない私に、夢を叶えるなんて、もう無理かも。。。”って思うことばかりだったけど、
息子が大きくなって、夢に向かって走ってばっかりで、止まったらもう終わりだと思ってしまったら、私は何と言葉をかければいいんだろうか?
と思ったときに、
”行動する”って言葉の意味を私は間違って捕らえていたんだって、はっと気づいた。
だから、今はもう自分を責めない。
”仕事したい、仕事したい”と思ったら、
集中して短時間だけ全力で仕事する。
それでも、できなかったら、
”今は、休憩~、ちびとあそぼ~”って完全にオフモードになる。
そして、オフモードの自分も楽しむ。
”ああ~、楽しい~、こころがラクだわ~”って。
そうやって最近、やっとこころも身体もラクになってきた。
ラク(楽)してたら、そしたら、毎日が前より楽しくなってきたよ~な気がする。
ということは。。。
”楽しい”=”好き”
という公式が成り立つなら、
私、”好きなことの最大公約数”=”夢”にまた一歩近づいているのかもです(笑)
ということで、
全力疾走中の方、
走れるところまでがんばれ~。
そして、現在、休憩中の方、
思う存分休んでいきましょ~。