今日は空が凄かったね。お祭り騒ぎな一日。

 

地球的な時系列での

今の彼との物語の前に

それまでの私について

簡単に触れておこうと思う。

 

 

札幌で生まれ

20歳で北海道の短大を卒業し、

航空会社の客室乗務員として

横浜と千葉で寮生活しながら

国内線国際線で7年半乗務。

因みにそれまで

バイトもした事なかったから、

私の社会人経験はこれだけ。

 

 

28歳で出来ちゃった婚。

といっても

21歳で知り合った彼との

だらだら交際中で

結婚話も出ていた頃の事だった。

 

だからちょっと

予定が早まっただけの話なんだけど。

(でもあのとき子供が来なかったら

結婚してなかったかもね)

 

今思えば

あの罪悪感は何だったのかと、

不思議だけど。

あの頃はお母さんごめんなさい、

ってかなり本気で思ってた。

 

 

私の母は、

けじめとか、順序とかルールとか、

そういうものを

大切にする人だったから。

 

 

 

結婚と同時に

家庭に入り以来21年間

専業主婦として

子育てと家事(と子供の学校仕事)に専念。

 

28歳で長男、

33歳で長女、

37歳で次女を産んだ。

 

3人の子育てのベースは

シュタイナー先生の考えに

どっぷり共感して

私なりにシュタイナー先生との

内なる対話を続けて

今に至っている。

 

 

私の実家は遠く、

博多出身なのに

夫※の実家は既に

東京にあったので、

必然夫の実家との関わりは

強くなっていく。

 

 

夫の家族はよく笑う

軽やかさがある(様に私には思えた)

思いやりに溢れた

優しい人たちだった。

 

夫はたくさん兄弟のいる末っ子で、

家族みんなにそれぞれからの愛を

(そして乳母がいるような

お家の人だったから

そういう周りの人からの愛も)

一身に受けてそだった、

自己肯定感の強い、

自由な発想の人だった。

 

一方私は

勤勉を旨とし、

正義を愛し、悪を憎み

責任とか義務を大切にする

母の考えが

色濃く流れる家庭だった。

 

思った事は

歯に絹着せぬ物言いで

お互い意見をぶつけ合うのが

当たり前。

食卓の話題はいつも社会問題や

政治の話で盛り上がり、

(女3人姉妹なのに!)

勉強第一、

姉と妹は優秀で

私は常に劣等感があり、

いつも母に認められたいと

思っていたけど、

それすら認めたくないほど

自分を諦めていた。

 

 

誤解のないように付け加えると、

母はとても愛情深い人だし、

父は善良を絵に描いたような人だ。

 

 

だから

自分のいる世界の価値観は

社会人になっても

役に立ったし、

それを疑った事など、

結婚するまでは

殆どなかったと思う。

 

 

そんな暮らしのベースが

大きく違う二人が

一緒に暮らすって、

想像以上に大変だった。

 

 

子供の事は

お互い大事に思っていたし、

夫は子育てに

協力的な方だったと思う。

 

自分が自由だと、

人の自由にも寛容だから、

夫は私に対しても

自分のルールを

押し付けた訳でもない。

 

 

ただ、

私は彼との結婚生活の

ほとんどの期間、

いつも彼に不満だったし、

それは彼のせいだと

信じていた。

 

だから、彼の自由が許せなかったし、

かといってその自由を

共有するのも嫌だった。

 

 

この頃は

自分の心に

素直になるって

どんな状態かも

わからないほど、

こじらせを極めていた。

 

 

いい母、いい嫁、いい妻、いい子ども。

 

実際はそうじゃなかったとしても、

頭の中は

それに支配されて、

そうじゃない自分を

いつもジャッジしていた。

自分が全然

好きじゃなかった。

 

 

だから、

3人目が産まれた直後から数年間、

夫が浮気していた事を知った時。

 

それまでの鬱憤が

一気に爆発して、

自分の中がすっからかんの

空っぽになるまで

それまで溜めに溜めていたものを

言葉のナイフなんて

生易しいものじゃない、

言葉の核爆弾を

いくつも夫に投下した。

 

発覚したのが

どういう訳か、

私の実家に

家族5人で帰省中だったから、

(そんな状況滅多になかったんだけどね)

私の両親の前という、

どこにも逃げられない状況で、

夫はひたすら黙って聴いて

弁解すら出来なかった。

 

今までの人生で

感じた事のないほどの、

自己否定感を

受け取ったと思う。

 

 

今振り返るとあのときは

完全に私は悪魔で

彼が無垢の乙女状態だ。

 

とはいえ、今、

あの時の私に戻って

他の選択肢があるのかと言えば、

やっぱり同じ事をすると思う。

 

この時の私は

そのぐらい、

自分の中の自分が

瀕死の状態だったのだと思う。

 

 

別れる決意のもと、

爆弾がつきるまで投げつづけて、

空っぽになった時には

爽快だった。

やりきった!という達成感。

 

だから、

この後、

まさか別れずに

共に暮らしつづけることを

自分が選択するとは

思ってなかった。

 

その話は長くなるので

今回はしないけど。

 

とにかくその後、

やり直すべく

新たに踏み出した訳だけど。

 

それから7年ほどは

お互いに最大限努力したと思う。

セックスレスだったのを

仲よく手をつないで歩けるほどに

改善した時期もあった。

 

お互いの違いを認めつつ、

歩み寄る為に

いろんな事を試した。

お互いほんとに

よくやったと思う。

 

 

それでも

私の心は

どこか満たされてなかった。

 

今ならわかる。

あのとき

女の自分が全否定された(と感じた)

心の傷がいつまでも

どくどく血が流れてるのに、

ほったらかしてたと。

目の前の、

夫婦仲よく、とか

子どもの為に

いい家族になりたい、みたいな

前に進む事だけを考えて

自分を置き去りにしていた事を。

 

まだまだ

素直になれてなかった自分を。

 

存分に、自分の心の声を

聴いてあげていなかった事を。

 

 

でも当時はわからなかった。

 

 

表面上は

上手く行っているようなのに、

自分でも何がそんなに不満なのか、

全然わからないままに、

いつもイライラして、

いつも何かに怒っていて。

 

この頃なりに

自分の好きをやってみたり、

衝動に従ってみたり、

すべきを手放してみたり。

色々、

やれる事はやってたと思う。

 

だから、

そこそこ幸せだと思っていたし、

実際人からはそう観えていたと思う。

自分でもそう思おうとしてた。

 

もしも、今の自分として

あの頃に戻ったならば、

違う選択肢があると思う。

出来た事も、

たくさんあると思う。

 

それでも

当時はわからなかったし、

そっちに行きそうなものを

拒絶していた自分もいた。

 

つまり、

今の自分にシフトする事は

あらかじめ決めてきた

シナリオの一部だったんだと

今だからわかる。

 

 

だけど、

このシナリオは、

頭で考えて行動してきた

私のままでは

絶対に出来ない選択を

用意していた。

 

今思っても、

よく選択できたなぁ、としみじみ思う。

よくやったよ私。

 

 

あの時は私を全力で応援して

私とともに動いた存在が

(そしてそれは今も一緒にいるけど)

確かにいた。

 

その存在と

つながった時の感覚は覚えている。

多分私が自覚するよりも

ずっと前から

いつもいてくれたのだと思うけど。

 

あのとき、

祈りに応えて

顕われた存在とともに、

私は新しい生き方を

選択する事になる。

 

 葉っぱはドクダミなのに、お花は八重咲。

初めてみた!可愛い〜。