せからしかブタにキレそうになったのが一昨日。しょうがないよね、掃除してあるように見えんだったっだけん。あの金切り声がつぶれるように、喉を締め上げてやりたい。

スイッチを入れなくても、自動で切離しが出来るようになったのが昨日。人間の意識はそれでも進歩するのだな、と思った。
 帰ってきたら相方がキャットフードは買うし、せっかく捨てた猫の段ボールをまた新しく作っとるし、面接には落ちとるしで、今に始まったことではないが、またどん底までげんなりする。

 今朝、「なんで、2つともコルトパイソンにしたんだろう?…」

 という夢を見る。


 ヌーソロジーの半田先生は先月24日に亡くなられたらしい。サスケが来たのが29日だから、やっぱ何か、大きな節目だったのだろうな、この間。

 ヌーソロジー、理屈で捉えようとすると難しいけど、感覚で捉えようと試みると、何も知らないくせに何故か、そうだよね?!それが本当だよね?!と言いたくなる。

 亡くなられたからおすすめに上がってきたのか、ふと思い出して自分から検索したのかは覚えてないし。いずれにせよ、キャッチしたのだ。会ってみたかったなぁ、半田先生。


 外はない。あるのは内側の世界だけだ、とヌーソロジーでも言われていたし、並木先生も口を酸っぱくして言ってる。他人とは、花瓶やらまな板やらと

何ら変わりない。まぁ、もっと言えば、姿見かもしれないが。

 姿見に撃ち殺したい奴が映ると、自分がその周波数を使っていると言う事になる。解脱したい人はその周波数を手放せばいいし、まだどっぷり浸かってたい人は姿見(他人)そのものに対して逆ギレするなりして、その周波数に翻弄され続ければよい。


 「重い」と感じるものは自分の持ち物ではない。「他人の荷物を盗んではならない」とバシャールが言っている。手放したほうが得策であろうが、まだまだ要らぬものを、この捨て魔の私ですら、いっぱい背負い込んで降ろせないらしい……。