最近とくに大切になってきている内観。。。
だからこそ内観!今こそ内観!
大切なのは内側!外側より内側!
このブログでもよく使っているフレーズですが、特に今、スピリチュアル界隈でよく目にするフレーズになっています。
3次元世界は、とにかく外側にフォーカスする事が当たり前のような所がありましたよね。
人の目・人からの評価…私達は幼いころから、それらが何よりも大切だと刷り込まれてきました。
人のため・人に尽くす…それが愛であるように教えられました。
自己犠牲…なんて言葉が存在する程に。
これ、全部外側ですよね?
自分はどこにあるのでしょう?
自分はどこに行ったのでしょう?
本来は、自分の目・自分の評価を大切にしなければなりません。
自分のため、自分に尽くす事ができてこそ、自分以外の人も健全に大切にできるようになります。
自己犠牲は、魂が元から備えている愛を、この3次元で都合よく使うための刷り込みであり、言わば愛の搾取です。
果たしてキリストは、本当に自己犠牲を解いたのか?
愛のために自分を犠牲にすることが最大の愛であり、最善であると解いたのか?
これはいかにも3次元的な教えだと、今の私は思うんですね。
きっとキリストは、自身も相手も幸せになる教えを伝えたと思うんです。
自分を犠牲にして相手を幸せにする…そんな教えは解いていないはずです。
この世は全て量子の世界であり、全ては繋がっています。
もっと大きな視点で視ると、一つです。
自分が幸せでなけば、相手を幸せにすることはできません。
自分が幸せならば、何も犠牲にしなくても、周りを幸せにできるはずです。
なぜなら繋がっている・一つだから。
だから、高次元存在はそこにいるだけでいい・そこで光を輝かせて下さいと伝えてくるわけです。
今まで私達は、人のため・人に尽くす事が愛であり、親切だという意識の中で生活して来ました。
自分を中心に考えると、どこからともなく自己中心的だという言葉を投げかけられ、悪者のよう言われたり、扱われたりしてきました。
このような経験から、人の目を気にするようになり、徐々に自分を出さなく・出せなくなります。
そうゆう世界で過ごしていると、自分が分からなくなってくるんですね。
内観とは、忘れてしまった自分を取り戻す作業です。
自分を取り戻すために、自分を封じてきた常識やルールを手放します。
自分がこの世の何に苦しめられてきたのか?
何が不満なのか?どうしたいのか?
自分の意見を聞くのが内観です。
自分の意見に耳を傾けると、すぐに、この世の常識やルール・人の目など、自分がこれまで囚われてきた思考が作り出した【エゴ】が語りかけてきます。
それでいいの?
間違ってない?
後悔しない?
できるの?
大丈夫?
それらの問いかけから、不安が起こります。
エゴは、この肉体をまとって生活して来た間にできた3次元思考です。
本当の自分…たくさんの経験を積んできた、高次元の魂とは別のものです。
エゴの支配が強ければ強いほど、内観は難しくなります。
エゴと内観については、以前も何度かお伝えしていますので、ここでは詳しく書きませんが、内観を進めて行くと、さまざまな常識やルールから解放され、少しずつ本来の自分を取り戻すことが出来るようになります。
自分を取り戻すためには、内観は必要不可欠となります。
そして現在、地球は5次元領域に到達しています。
それゆえに、思考の具現化のスピードが早まっています。
これね、思考が複雑だと、自身が望んだ現象と真逆のパターンになったりします。
そこに不安や恐怖が隠れていると、そちらを具現化させてしまうんですね。
不安や恐怖が渦巻く3次元では、常に生存本能を優位にするしかなく、ネガティブな経験をしないためにはどうするか?を考えることが習慣化しています。
嫌なこと・辛いことを経験しないためにどうするかを考える。。。
この思考は、ネガティブを意識しているからこそ生まれる思考ですね。
先のことが分からないからこそ、不安になり、恐怖してしまうのですが、ネガティブが存在しない高次元では、先のことが分からなくても恐怖することはありません。
私達は、常にネガティブを意識する思考が染み付いています。
そんな私達は、現段階で、素敵なこと・幸せなことのみを意識して過ごすことがどうしても難しい…
なので、内観により、自身が何に恐怖しているのかを知り、自身が恐怖していることを認め、それを昇華させる。
ネガティブが少しづつ減ってくると、ポジティブな現象が具現化されやすくなってきます。
自分が望む声をキャッチし、それを投影させるには、エゴよりも自分を優先し、ネガティブよりもポジティブを優先する。
それを出来るようするのが内観です。
地球が5次元に突入した今、様々なものが具現化しやすくなり、具現化のスピードが増しています。
それこそが、今こそ内観と叫ばれる理由となるわけです。