《3階 幻のアート》




 3階に昇った。2階よりもやや人が少なかったけど人はちらほらいた。

 僕は質問した。

「ねえ、ニューヨークのアーティストは幻を描くってホント?」

「それは本当だ。画家は夢で見たものを絵に描くし、歌手は幻聴で聴いた歌を歌うと言われている」

「それは素敵。アーティストは夢見る職業なのね」

 アンジュちゃんは喜んだ。

「だが夢や幻でアート作品を作るのは問題もある。幻を見る手段として麻薬が使われることもあるし、精神病で幻を見る場合もある。そして麻薬をしながらアートを見れば絵の中に入れたり、絵が動いて見れたりして面白いかもしれないが、それは病的だ」

「そっか。ニューヨークで幻を見るといえば麻薬」

 まほろちゃんも悲しんだ。

「マッチ売りの少女みたいに幻を見ながら亡くなっていく人もいるよ」

 夢見る気持ちが大切と思ってきたアンジュちゃんにとっては夢見る気持ちが時に病気とみなされる場合もあると知ってショックを受けた。

「麻薬なんてやらなくても夢を見る気持ちさえあれば夢はいつでも見れるのにね」


 アーサーくんはこう解説した。

「薬を使って幻を見るという考え方は『心なんて存在しない』という唯物論の考え方に通じている。

 『心は脳内物質である』『宗教はアヘンである』『人が亡くなれば無になる』といった考えである。その考え方から行くと人生の出来事は全て偶然に起こるということになるし、あらゆる出来事が全く予想つかない、まさに一寸先は闇ではないか。そんな世界観は想像しただけでも恐ろしい」

 それにアンさんが説明を追加した。

「無宗教の人は、心というものがあるということは信じるとしても目に見えない力をただの心理現象としか解釈しないわ。例えばお化けを見て幻覚だとみなしたり、初音ミクみたいなバーチャルの存在を只の絵としか思わなかったりするの。

 初音ミクが只の絵だとしてもそれを見て心を動かされたハートは本物よ。ハリーポッターみたいに魔法を描いた作品を見ても、感動的だと思うだけで魔法を信じない人が多いの。魔法を使えなくても魔法を信じるだけで夢があるわ」

 またアーサーくんが説明した。

「絵では立体も描ける。絵の奥深さには限りがない。鏡の中のように見えない部分にも世界が広がっている。鏡の向こうに世界が広がってるように絵の中にも世界が広がっている。

 アートは只の物質ではなくそこに描かれた空想世界を見るものなのだ。アートとは感情エネルギーの表現であり、感情の物質化である。例えば今私がアートの説明をするために具体例をあげている。具体例を挙げることこそアートの表現手法である」


《長坂真護さん》


 長坂真護(ながさかまご)さんのアートがあった。キングくんがその絵に着目する。

「長坂真護さんはガーナを中心に活動してる日本人の画家だ。ガーナの海岸で拾ったゴミを集めてそれを材料に絵画を作ってんだ。海岸も綺麗になるし、アートも高く売れるし、一石二鳥ってわけだ。燃やした灰を固めて人工ダイヤモンドを作ることもできるぜ」

「まさにゴミを宝に変えている訳だね」

 僕は感心した。アーサーくんは指摘した。

「それは心を全く信じない人にとっても美しいと感じられるアートだね」

「そっか。確かにそうだよね」

 僕は納得した。キングくんは続けた。

「ガーナ人を創作に参加させることによって低賃金で危険な仕事に就かなくて済むようにしている。ガーナ人は以前はゴミのリサイクルしてたんだけど、絵が高く売れることによってガーナ人が豊かになってるんだ」

「絵を買うこと自体がノーブレスオブリッジという訳だね」

「ノーブレスオブリッジ?」

 アーサーくんが言った言葉をアンジュちゃんが疑問に思った。

「ノーブレスオブリッジというのは、豊かな者はその分、社会に貢献すべきという考え方だよ」


《物派のアート》


 アーサーくんはまたある絵に着目した。

「これは物派のアートだね。アートは普通いろんな物質の素材を使って色々と加工することによって美しく見せているが、物派のアートでは物質の素材自体を美しいと認めている」

 僕は気づいた。

「知ってるよ。僕の住んでる佐賀の隣町、久留米にある石橋美術館で見たよ。ブリヂストンの創業者石橋正二郎さんは本業では自転車を作りながら、物派のアートを集めたと言われてる。

 昭和の時代の中小企業の社長さんの中に物派のアートのコレクターが多くいたと言われてる。つまり物質的な素材を使って実用品を作ると同時に、趣味ではアート作品を作ってるんだよ」

「なんで昭和の時代の中小企業の社長さんがそんなアートをコレクションするの?」

 アンジュちゃんの質問にダイアナさんが答えた。

「それは社会主義者じゃありませんアピールよ。その時代、製造業のライン工の中には社会主義者が大勢いて会社の経営者は社会主義者に乗っ取られることに危機を感じてたのよ」

 アーサーくんは、

「社会主義も唯物論的な考え方をするからね。

 同性愛者の人権を守ってます、SDGsを守ってますと言って、そんな自分が権力を持つべきと考えるのが社会主義。社会主義では、心は脳内物質であり、宗教はアヘンであると考える」

 と言った。


《社会主義リアリズム》


 次のコーナーに行った。アーサーくんは言った。

「これは社会主義リアリズムだね」

「知ってる。社会主義的現実主義」

 僕はそう言った。

「ああ、それは中国風の言い方だね」

「現実主義とは名ばかりの理想主義を描いた絵だと聞いた」


 アンさんは話題を出した。

「社会主義が盛んな中国では日本風のアニメが作られてる。社会主義では祈ることも恋することも許されないこともあるの。押井守監督や新海誠監督が描くアニメのように透き通るような青空の下、恋したり神社のお祭りを見たりするような青春を切望してるのよ」

「中国のアニメなどは社会主義の国策で作ったものだから、国が人民の心まで操ろうとして無理やり描かせたものじゃないか? そんなものが人の心を動かすとは思えないがね」

 そんなアーサーくんの意見をアンさんは訂正した。

「でも北京大学の学生が日本風の青春を求める気持ちは本物よ。北京大学の学生はアニメを作る自由を求めるの。アニメを作らせてもらうためにはデモやストも辞さない。本気で自由を勝ち取ろうとしてるの。そんな人たちが作ったアニメならきっといい作品になると思うわ。

 現実に青春が体験できないならせめてフィクションでってことなの。スピーチが許されない国でもアートということなら許されることもあるわ。

 どんなお金持ちより日本風の青春を楽しめる人の方が人生の勝ち組よ。やたらお金をかけて人を働かせて贅沢するのは賢くないわ」

 そんなアンさんに対してダイアナさんは、

「日本のアニメ会社だって中国人労働者に低賃金でアニメを描かせてこき使ってるじゃないの」

 と皮肉を言った。

「一見、美しいアートでもそれを作った人が辛い思いをしてるなら全然、素晴らしくないわ」

 ダイアナさんはアートを作らされる人の苦労に着目する。


《メインストリーム》


 アーサーくんは語る。

「売れるアートの中心は流行っているアートだ。世の中で流行ってるアートに対してまたそれに関連するアートを作る。例えば人の作品をリスペクトして似た作品を作ればオマージュと呼ばれる。逆に正反対の価値観のアートを作ればカウンターと呼ばれる。こっちはもっとすごいよという風にもっと発展させた作品を作ることもある。あるアーティストがアートを使って疑問を投げかけたなら、それに答えるアートをまた作るという風に作品が作られていって、それで流行が作られる。

 それがアートのメインストリームである」


《アヴァンギャルディズム》


 僕たちはまた別のコーナーに移動した。

「ここはアバンギャルディズムのコーナーだ。アヴァンギャルディズムとはいまだかつてない物を作ることだ。アートは世間の常識を覆すもの。常に見る者の想定外にいなければいけない。アバンギャルディズムのアートによってアートの定義まで覆されてしまう。」

 アーサーくんは熱く語る。僕は目の前の作品に注目する。ボタンを押すとスクリーン式の映像が出てくる仕掛けだった。僕は押してみた。

「これは最近流行りのデジタルアートだね」

 日本の田舎の風景。子供が田舎のおばあさん家に帰って遊ぶ様子。おばあちゃんが孫にみかんをあげる。おさると一緒に温泉に入る様子。東北地方の郷土料理が出てきた。

「こんな田舎の風景をデジタルで描くなんて斬新だね」

 よく見るとこの作品を創ったのは京都の舞妓さんみたいだった。

「京都の舞妓さんだって」

 キングくんも注目した。アーサーくんは語る。

「京都の方は結構新し物好きでね、アヴァンギャルディズムに興味を持つ方も多いと聞く。

 商業主義で考えるならばアバンギャルディズムは最も重要である。世の中で最も売れる作品は一番最初に考えた者の作品である。誰かのマネをする人は、最初の者が『多くのクリエイターに影響を与えてます』という風に最初に考案した者の引き立て役に利用されるだけでその人は有名にならない。有名になれるのは最初に考案した者だけである。

 アバンギャルディズム、それは流行の先駆者であり、完全なオリジナルであり、オンリーワンの作品である」


 ダイアナさんこう語った。

「アートが斬新だと持ち上げられるばかりで社会の意識改革に繋がらない場合もあるわ。私の友達でトランスジェンダーの人がいるんだけど、奇抜ファッションのモデルをしてるの。

 LGBTQも普通の人間なんだっていうメッセージを伝えたいのに、モデルがすごい人だと持ち上げられすぎて『LGBTQが特殊な人だから奇抜なんだ』と思われて、メッセージとは逆に伝わってるわ」


《アールブリュット》


 僕たちはアールブリュットのコーナーに入っていた。僕はアールブリュットに着目した。

「アールブリュットは僕の得意分野だね。僕もアールブリュットを創ってるから。

 普通は障害者が健常者と同じように働こうとしても難しい。でもアールブリュットなら同じように見てもらえる。障害者のアートが一流のアーティストの作品と同じように並べてもらえることもあるんだ。アートは優しいんだ。障害者にも優しい」

「絵が厳しかったり優しかったりするってどういうこと?」

 アンジュちゃんの質問に僕はこう答えた。

「優しいメッセージを伝えたり、思いやりを持って人の気持ちを描いたり、自由に解釈していいよって言ってたりっていうことかな? どんな人の作品でも受け入れる美術館みたいに、何でも描いていいし、誰でも仲間に入れてもらえる。アートに失敗はないし、上手いも下手もないんだ」

 するとキングくんはこう言った。

「アフリカの未開人が描いた絵もニューヨーカーの絵と並べられることがあるぜ。コンゴ人が高級服を着て踊る写真とか、オタクが描いたマンガとかも時に高く評価されることもあるし、蛭子(えびす)さんのマンガもパリの一流アートの世界で高く評価されてると聞くよ」


 アンジュちゃんは質問した。

「アールブリュットってどんなアートなの?」

 それに僕が答えた。

「アールブリュットっていうのはアートの教育を受けてない人が創ったアートだよ。例えばアンジュちゃんがいつも即興で歌ってるけど、それもアールブリュットだと思うよ。

 アールブリュットは無我夢中で創る。人に評価してもらうとか売ることとか全く考えずに、創るのが楽しいから創るっていうのがアールブリュット。アールブリュットは自分でも何で創ってるのか分からずに創るんだよ。

 天然ボケとか天然でカワイイという人いるよね。ウケを狙おうとしてないのにウケてしまう。アールブリュットもそれと同じで、ウケを狙わない。それが時に高く評価される場合もあるけど評価を求めた途端にアールブリュットじゃなくなる。

 愛情込めて楽しい気持ちを表現するというのがアールブリュットだから、『楽しむ人ならこう表現するだろうな』と推測するやり方をどこかで習って楽しまずに作品を創るというのはアールブリュットとは正反対なんだ」


「『オンリーワンじゃないと売れない』と言われたかと思うと、『お金を稼ごうとしたらいい絵が描けない』って言われちゃう。アートの世界ってホントにいろんな考え方があるのね」

 アンジュちゃんは困惑した。


《イメージ療法》


 アーサーくんは語る。

「アートは癒しになる。アートは医療にも関わりが深い。アートを描くことで心を癒すことができる。

 イメージ療法という治療法がある。病気を抱えた人がいたとする。その人が病気のイメージを心にイメージして、それから病気を退治するものをイメージする。例えば病気をモンスターに例えると、それを退治する治療のことを勇者だとイメージする。そして心の中で勇者にモンスターを退治させる。そうすると心が癒され、 自然治癒力が働き、病気が治るというわけだ」

「なるほど。そのためにアートが使われてるのね」

 アンジュちゃんは納得した。

「時にはアートを壊すことも癒しだ。アートを壊すなんてもったいないと思う人もいるかもしれないが、治療のために壊すことが必要な場合もある」


つづく