福岡の大川に住む僕の友だちの便利屋さんは2〜3時間で1万円稼いでいました。時給で言えば4〜5000円です。阿蘇高原の牧場で作られた牛乳も販売してます。


 佐賀では海苔の養殖が行われています。海苔の養殖は佐賀県全体で1年に200億円の売り上げ、17億枚売ったそうです。佐賀海苔は黒い札束と呼ばれています。


 佐賀県南部から大川にかけては力仕事でバリバリ稼ぐ気質があります。この辺りの人は元々海だった所を干拓して土地を作った開拓農民の子孫なんです。


 東京のサラリーマンが給料安いから田舎はもっと安いだろうとか、今この町は田舎だから昔から田舎だろうというような思い込みに囚われちゃいけません。


 都会のサラリーマンの場合、物価、賃金の相場、為替相場、投資が盛んかどうかといったことによって景気の良さはある程度決まるのに対して、田舎では需要と供給さえ揃えば、地元から地元へというお金の流れが起きるので株や為替の影響の及ばないところで景気が良くなる可能性があります。


 僕は佐賀のスーパーの社長さんに会ったことがあります。昔は佐賀のスーパーはたくさんあったけど最近はどんどん県外のスーパーに買収され県外の会社のチェーン店になってしまいました。そんな中その方は佐賀の会社として頑張ってらっしゃいます。


《地元で働くメリット》


 佐賀の「ぶんぶんテレビ」は佐賀のことを放送するテレビ局で、インターネットの設置、メンテなどもしてくれます。従業員はほとんど佐賀出身の人です。


 お客さんの家に上がるような仕事は信頼されないとできませんが、地元の人なら信頼されます。


 経営者が地元の人と交流があるなら従業員とも信頼関係を作りやすいし、信頼出来る人かどうかの目安になると思います。


《グルメ・芸能・スポーツ》


 グルメは単に食欲を満たすだけでなく人との交流のために大事です。芸能・スポーツは必要な仕事ではありませんが、人との話題として大事です。


 物欲食欲を満たすためというより地元の応援のために買ったり食べたりします。地元のスポーツチームが勝ったらお祝いで買い物が盛んになることもあります。


 食レポ、温泉レポなどをすれば、美味しいものを食べてお酒呑んで贅沢して人気になって稼ぐことがてきます。


《福岡》


 僕が福岡の天神で仲良くなった人で土木の派遣会社の人がいます。その人は船乗りでもあり、不発弾撤去もします。博多湾に不発弾が落ちていてそれを拾うのを宝探しのように楽しんでるんです。


 「福岡に住むならうちの会社で働くといいよ」と僕に言ってくれました。


 土木の世界にも夢を持って人生楽しむ人がいると分かって嬉しかったです。


《福岡県民の気質》


 福岡県民の気質といえば人情味に厚くて、反骨精神が強く、陽気でノリがよくて、商売熱心で商売上手で爆買い気質でもあります。中国人の爆買いツアーに商品を売りさばき自分たちも爆買いします。


 上海人と先祖が同じなんだと思います。


《小さな経済》


 佐賀は食料生産が盛んな県です。お米、日本酒、みかん、おにぎりやラーメンで使う海苔、呼子のイカ、佐賀牛などがあり、佐賀の食品だけで毎日食べていけるほど種類が豊富です。


 小さな経済と言って一つの町の中をお金がぐるぐる回る経済を作るといいという考え方があります。


 県外のお金が佐賀に入ってくるようにする仕事があり、佐賀からお金が出て行くようにする仕事があり、佐賀の中をお金がグルグル回るようにする仕事があります。


 せっかく県外から入ってきたお金ですぐに県外のものを買うよりも佐賀の中をグルグル回した方が景気が良くなると以前は思っていました。


《福岡のクリエイティブ》


 福岡にはVTuberの舞鶴よかとちゃんがいます。

 舞鶴よかとちゃんは福岡のこと何でも知ってます。よかとちゃんが売れば何でも完売すると思ってもらえるからいろんな企業にコラボしてもらえて商品を作ってもらえます。最近はVtuberとして稼いでいるので福岡にお金を落とせるのが嬉しくてしょうがないと言ってました。


 自分のお金が買い物で減ったとしても福岡のためになるなら嬉しいという考えなんです。


 よかとちゃんなら

「福岡で商売すればみんな儲かるよ」

と思ってもらえるのを喜ぶと思います。


 この町で商売すれば儲かると思ってもらえるからこそお店ができて、働く人も増えて、お客さんも増えるということです。必ずしも街の中でグルグルお金が回ることだけが活性化ではないということに気づきました。


《本物の名物》


 地産地消も大事ですが佐賀のよさを県外の人にアピールするためには佐賀の名物を県外に売ることも大切だと思います。


 観光客に佐賀の文化を見せるなら佐賀の人が楽しむようなことじゃないと本物の佐賀の文化と言えないと思います。

 そして食も同じだと思います。僕が昔、農家の手伝いをしていた頃、農家のおじいさんにこう言われました。

「自分で食べてみて美味しかったら、美味しいですよと勧めんしゃい」

 つまり県外の人に佐賀のものを食べてもらうための地産地消というわけです。


《佐賀のショッピングセンター》


 佐賀にはゆめタウン、イオン、モラージュという3つのショッピングセンターがあります。そのうち僕がよく行くのはゆめタウンとイオンです。


 ゆめタウンとイオンには本屋さんがあり、その中にはゆめタウンとイオンの創業者が書いた本があります。僕はそれを読んでみました。


 どちらも佐賀の経済に貢献したいという気持ちを持ってらっしゃいます。ゆめタウンは広島で生まれ普通なら都会に店を作るため東へ東へと向かうのが普通のやり方ですが、あえて田舎に進出するため西へ西へと向かった結果ゆめタウン佐賀が生まれました。その結果すごく儲かっています。


《佐賀のクリエイティブ》


 佐賀の芸能人には次のような人がいます。


ガタリナ ピンキースカイ ひぜんりささん

はなわさん 江頭2:50

冨永ボンドさん フーミンさん

参鬼超神(さんきちょうじん)ヨウキさん


 冨永ボンドさんとフーミンさんには僕の歌を聴いてもらいました。僕も佐賀の芸能界の仲間に入ろうとしてます。


《行政を巻き込んだ町おこし》


 佐賀の町おこしについて語ります。


 佐賀は鳥栖(とす)が物流拠点になっています。福岡に日帰りで行けるので田舎の割に都会に近いです。


 バルーンフェスタが開かれ、毎年秋に世界中からバルーンに乗る人が集まりバルーンが佐賀の上空を飛びます。


 バルーンフェスタでは刈られた後の田んぼに離着陸するためバルーンフェスタが始まる前に田んぼを刈り終え、冬の小麦畑を作るのはバルーンフェスタが終わった後にするという風に農家も協力します。


 ゾンビランドサガというアニメもあります。全国で放送され、放送当時は日本のアニメで一番人気だったそうです。

 佐賀のあちこちにマンホールが作られました。アニメの聖地巡礼も盛んです。


 最近では佐賀アリーナが作られました。数千人収容できるスポーツとコンサートの会場です。B'zのライブが盛り上がりました。


 特急電車では長崎の大学まで佐賀から通えます。佐賀で大学を作ります。進学のため県外に出る若者を食い止めるためです。


 佐賀の特産はいい特産品を作れば県知事自ら宣伝してもらえます。


 僕の配達も町おこしです。 雑誌の広告とローカルラジオの広告がリンクしてることに気づきました。またぶんぶんテレビの情報ともリンクしてます。


 僕の配ってる雑誌では佐賀の町おこしに役立つ情報が載っています。防災など公共性の高い情報や佐賀の経済に貢献した話もあるし、佐賀の地元の企業のことも宣伝されています。


 単に宣伝するだけでなくその会社の社長さんから読者への新年の挨拶なども載っているし、読者が社長さんと知り合いということも多いと思います。その辺がネットCMやテレビCMとは違います。


《佐賀の良さ》


 僕のようなオタクにとっては佐賀では福岡の番組が見れることが多いのでありがたいです。魔法陣グルグルもそのお蔭で見れました。


 外国人や都会の人が佐賀に来た時に佐賀の人に溶け込みながら佐賀や日本のことを学べる仕事とは何でしょう? やっぱり佐賀に来てよかったと思える仕事がいいですね。


 バルーンフェスタではトルコ人がケバブサンドやトルコアイスを売っていました。ケバブサンドは美味しかったしトルコアイスはコーンの部分を僕が取ろうとする直前にくるっとひっくり返して取るのを邪魔するというパフォーマンスもやってもらいました。こういう風に佐賀が盛り上がったら外国人の応援もできます。


《田舎っぽさをアピール》


 佐賀は福岡にはかなわないからいっそのこと田舎っぽさで勝負するのもいいです。


 星の見える町、エア活といって中国人が新鮮な空気を吸いに来ます。スピリチュアルとしても新鮮な空気を吸うのは大切なことです。


 外国人留学生、技能実習生が来ます。アフリカや東南アジアの人が農業を習いに来ます。


 僕の小説でも佐賀の田舎の風景を美しく描いてるので佐賀の田舎のPRに役立てられると思います。


《昔の人の出稼ぎ》


 江戸時代には商工業は子育てに向かないと言われていました。それに対して田舎で農業するのは子育てに向いていると言われていました。なので昔の日本では田舎で生まれた子供が都会に出稼ぎに出ることが多かったです。


 昔は田舎の男性が都会に出稼ぎに出ると、その土地の女性と結婚できることは少なくて結婚できたとしても田舎に連れて帰ることが多かったと思います。もし都会に残るとすると結婚できないまま年取るということも多かったと思います。


 江戸っ子などのように都会に生まれ育って子供を作る人もいましたが、そういう人たちは特別な助け合いのやり取りがあったんです。


 その助け合いのやり取りについては「19.社会に必要な産業を楽しむ」に書く予定です。


《ブラタモリ》


 NHKのブラタモリという番組では日本各地の町作りの歴史などを紹介しています。


 戦国時代には競争原理が働いて、戦国大名はいい人材を集めるためにいい国を作ろうとしました。


 タモリさんは坂とか崖が好きです。坂の多い土地に町を作る時の工夫などが町の発展に繋がり栄えたという話をしています。また土地の土質などがお城作りの工夫につながったり水源の確保に繋がったりしています。町を作る時にその町ならではのオンリーワンなやり方で町作りをして発達します。


《船乗りの町作り》


 昔の佐賀は豊かで資本主義の中心でした。


 小城(おぎ)は小京都と呼ばれていたし、牛津(うしづ)は西のなにわと呼ばれてました。中心街の新馬場(しんばば)通りはお金持ちの宿泊と情報交換の場になって佐賀のウォールストリートと呼ばれていました。諸富(もろどみ)には港があったので昔は佐賀も港町でした。


 昔は町というのは今でいう会社みたいなもので助け合うのが当たり前でした。


 今の資本主義は職業選択の自由があって自分の稼ぎは努力した分だけ稼げる代わりに自分の町は豊かにしなくにしなくていいです。ふるさとを捨ててすでに豊かな町に行くだけなので、人材を集めたい資本家にとって都合のいい仕組みです。


 僕の先祖・中島家のルーツは対馬(つしま)です。対馬では食料も獲れず移動は船しかないので貿易をしました。韓国との貿易や南蛮貿易をして、長崎中華街も作ったかもしれません。長崎には中島川、諸富に大中島、柳川には中島駅など中島とつく地名が沢山あります。昔の中島家の人々が貿易商となって港から港へ渡って繁栄しました。


 昔の船乗りは貿易商でした。遠くの町の文明をふるさとに持ち帰ると町中の人が大喜びで出迎えて凱旋パレードみたいになってそれがきっかけでその町が都会になります。船乗りはヒーローで、どこの町を都会にするかも船乗りが決めました。


 昔の町作りでは港の近くに牧場が作られました。魚と肉を獲ると同時に船と馬で移動するためです。山村や離島が交通の便のいい所でした。


 船を漕ぐ仕事、船の荷物を陸から船へ、船から陸へと上げ下ろしする仕事は、日本の歴史上、最も過酷な重労働と言われます。


 今は株や為替、ローンやガソリン代などで外国人のお金持ちに利益が取られてますが、昔は大変な重労働を誰かにさせてたということを考えると昔の方が良かったなんて簡単には言えないと思います。


《自治》


 人類の歴史上、自治はほとんど行われていません。庶民が自分たちの好きなように町を作り何でも自分の好きなようにルールを決めていれば社会はうまくいくと思います。それをエリートがうまくいかないと思い込んで社会をコントロールしようとするから、そのために働く人が減ってくるんだと思います。


つづく