ではまず僕の今までの稼ぎ方を紹介したいと思います。

 子どもの頃の将来の夢は博士か大工さんでした。ロボットや家を作りたかったんです。

 小学生の頃は毎日100円お小遣いをもらっていました。

 僕が人生最初に稼いだ仕事はお父さんの肩叩きでした。お父さんは何もしないでお金をもらうのに反対で、働いて稼ぎなさいといったので、僕たちに肩叩きをさせたんです。でもお母さんはそれを無視してお小遣いをあげ続けました。 

 お父さんは家に自販機を置きました。うちはお店じゃなく普通の住宅街の民家ですが、業者の勧めで自販機を置くことになりました。数年位は儲かりました。

 中学生になって新聞配達のバイトを始めましたが続きませんでした。高校生になってレストランでバイトを始めました。

 高校の頃の将来の夢は小説家か精神科医でした。精神科医を目指したのは夢心理学に興味があったからです。

 高校生の頃、魔法陣グルグルというアニメに出会いました。ククリちゃんとニケくんという少年少女が魔法を使ってモンスターを退治する冒険物語です。僕の1番の夢は魔法陣グルグルのニケくんとククリちゃんみたいに魔法を使って冒険の旅をして生きていくことでした。

 高校の頃のバイトではいじめられました。いじめから逃げるため博多で一人暮らししましたが、そこのバイトでもいじめられました。仕方なく仕送りに頼って生活してました。

 その頃スピリチュアルの本を読んで祈りは叶うということを信じ始めました。

 そんな仕送り生活がしばらく続きましたが、博多での生活は困窮していき、中古マンガなどを売るようになりました。

 やがて売るものがなくなると、親によって佐賀に連れ帰らされてしまいました。

 佐賀の田んぼ道で散歩する日々が続きましたが、でもその頃、経済について学んでいました。このブログに描いてる話もその頃の知識が元になっています。

 25才でようやくいじめのない職場を見つけました。食品工場の仕事です。これでまともに稼いで貧乏から抜け出し貯金を始めました。

 27才になると収入をもっと大きく上げようと努力して節約して貯金にも励みました。工場の仕事を1日4時間から6時間に増やしてもらいました。仕事の合間に休みをもらったこともありましたが、30分間1人でいるのは暇なだけでした。

 臨時バイトもしました。臨時バイトではみかん狩りをしましたが、冬の朝早く寒い中働くのは苦手で続きませんでした。

 着物売りのバイトもしました。これは営業の仕事で自分の知り合いに売らないといけない仕事だったので辞めました。但しこの仕事は基本給は高かったです。

 バイトを休んで臨時バイトすることがありましたが、有給は使いませんでした。意味のないことをしてしまいました。

 年末年始の忙しい日に休みましたが、その時は有給を使いました。

 親からお小遣いももらってたし、実家暮らしで家賃や生活費が要らないこともあり貯金はどんどん貯まりました。収入の7割を貯金しました。

 株も買いました。最初に買った株はサンリオでしたが、会社を応援しようと思って買った株です。株主優待でハーモニーランド、ピューロランドにも行きました。

 株の短期売買では大損しました。FX投信もしましたが、これはもしかしたら詐欺かもしれませんでした。ですが僕はなんとか詐欺だと気付いてお金を取り返しました。

 精神科の先生に障害年金をもらえるようにしてもらいました。

 やがて28才で仕事は辞めてしまいました。辞めたのは貯金が貯まったことも理由ですが、経済に疑問を持ったからです。

 今の世の中何もかもが供給過剰です。供給過剰なのに売らないといけないという経済は意味がないと感じました。エコにいい経済についてもっと深く考え直そうと思いました。

 次は何の仕事をしようか?と考えて林業しようか?と思い、林業体験もしました。林業を選んだのは木を伐るためじゃなく森の山菜、キノコ、筍(タケノコ)などを採って自給自足したいと思ったからです。また森で採れた木材で家を建て、遊歩道を作り、橋を架け、遊具も作り、子どもたちが遊べる遊び場を作りたかったです。

 でもそれも辞めました。僕の目標はみんな仲良しの社会を作ることで、そんな価値観に共感する人はあんまりいないだろうなぁと思ったからです。

 せっかく資金があるから株主優待生活をしようか?とも考えました。でも株も奪い合いだからみんな仲良くという僕の考えに反すると思って辞めました。

 僕の持ってる貯金は人形に使うことにしました。自転車旅行をして佐賀の周辺の街に行って人形を沢山買ってカゴをいっぱいにして帰るということを繰り返しました。

 僕は祈れば叶うと信じてるからお金は要らないと思いました。そしてそれが証明出来たらもう働くのは辞めようと思いました。

 僕は何をして生きていけばいいのか?夢の中の人に相談すると、
「小さなこと始めればいいんだよ」
と言われました。そう言われて始めたのが小説描くことです。

 僕の小説のテーマ未来メルヘンではみんな仲良くして協力し合って平和で豊かな町を作ります。

 やがて貯金が尽きると借金して遊びに使いました。僕は祈りの力で稼ぐと決めました。

 その後、ネットカフェ通いするようになりましたが、その頃の夢の中の人のアドバイスでは、
「ネットでお金を使わず知恵を使うべき」
と言われました。

 僕はたまに東京に旅行に行ってましたが、千葉に住んで東京に通ってる兄の家に泊まることがありました。そこで小説を読んでもらいましたが、兄と意見が食い違いました。兄は競争主義で安定職にしか興味なく、
「景気が良くなると変な人もやってくるから景気なんて良くならなくていい」
といいました。

 年金は殆んど借金返済に当てるという日々が続きました。ポイント稼ぎ、割引、図書カード、ちゃおの付録、ネットカフェのフリーランチなど安く買い物出来る制度を賢く使いました。

 そんな中、僕は今世界中で日本のアニメや漫画やゲームが流行ってると知りました。「10.流行を作る」に詳しく描きますが、日本のポップカルチャーが世界中の若者に夢を与え「日本が好き」という気持ちを通して友情の輪が広がっていると知りました。

 僕は僕の持っているサンリオ株が上がると予想しました。その後、予想通り僕の持ってるサンリオ株は上がり、株を売って借金を払うことが出来ました。

 後で知りましたが、サンリオはこの頃サンリオをもっと海外で売り出そうと努力してそれが成功しました。僕の資金が微力ながら役立って嬉しいです。サンリオに感謝しています。

 これで祈りは叶うと証明できました。

 33才になるとだらしない生活をやめ毎日を大切にして生きていこうと決めました。アルミ缶の空き缶を拾って売って稼ぎました。普通は空き缶1本1円ですが、ちょっと遠くにある1本2円で買ってくれる所まで自転車で運んで売りに行きました。共感できない経済本も売りました。兄が実家にプレゼントした庭のさくらんぼが採れ時なので採って食べました。

 この頃の僕は孤独で悩んでました。僕はいつまで1人で過ごさないといけないんだろう?と思って淋しかったんです。そこで友だちを求めて福祉施設で働き始めました。一生働かないという僕のポリシーは曲げることになりました。

 福祉施設で利用者として自転車リサイクルをしました。自転車修理が出来るようになりたいと思ったんです。

 その後もう1つの福祉施設に通い始めました。そっちは友だち作りのために通ってたんですが、福祉施設を1つにして働いてほしいと言われ自転車リサイクルは辞めました。

 自転車リサイクルの最後の仕事は自分の自転車を直しました。たまたま最終日の前日に僕の自転車が壊れたんです。

 福祉系のカフェに助けてもらい仕事を与えられました。最初は利用料払うだけだったんですが、その後工賃もらえるようになり、やがてもらう方が多くなりました。

 僕の希望で農業をさせてもらうことになりました。学んだ知識で自分ちの庭でも畑を作りました。

 経済のスピーチをして僕の経済の知識を地元スーパーの社長さんに語りました。

 借金完済が出来たので記念に寄付でもしようかと貧困団体に寄付しました。するとその直後お金を拾いました。誰かに与えると別の誰かからもらえるという祈りの法則がまた証明されました。

 ラジオ出演、ニュース出演もしました。ニュースの手伝いして女子アナに感謝されたこともありました。

 タコ焼き、クレープを焼きました。でもカフェでのメインの仕事は皿洗いでした。

 当時は仲の悪い親と住む実家暮らしが辛くて遅寝遅起きになり、午後3時の仕事にも遅刻してました。悪夢も見ました。

 僕は悪夢とこれからの生活のことを解決するためまた祈りました。スピリチュアルでは願いは自分で叶えるものだから神社に祈る必要はないと言われていましたが、その時は自分一人の力じゃ限界だと感じていたので神社に祈ることにしました。

 神さまと対等に仲良くしてもらえますようにと祈りました。

 しばらくして佐賀の大和町にあるシェアハウスに住み始めました。福祉施設の方がシェアハウスの経営していてそこに住まわせてもらったんです。今も住んでます。シェアハウスに住み始めた途端に夜更かしがなくなり早寝早起きになりました。

 僕は本を作ってあちこちに売りに行きました。大和町にはまほろちゃんというゆるキャラもいて気に入ってそのキャラを小説にしたりもしました。

 オタク系の同人誌即売会では1冊も売れませんでした。僕は自分のことをオタクだと思ってましたが、他のオタクが教わらなくても自然と取る行動が僕には分からず、人と違った行動を取って相手にしてもらえなくなることが多くありました。なので僕はオタクでもないのかもと思いました。

 同人誌に似たものでzine(ジン)というのもあります。同人誌とzineは自作の本を作るというところは同じですが、作ってる人のジャンルが違います。アメリカ生まれの文化でおしゃれな人が多いです。僕はzineとしても販売しましたがそれもなかなか売れませんでした。

 福祉系のイベントで売れましたが、福祉系の人に売れるというのはお情けで買ってもらう面もあります。

 僕の本はアールブリュットとして高く評価されました。アールブリュットというのはアートの1種です。「12.遊んで稼ぐ」に描きますが、アートの教育を受けずに描いたアートです。

 福祉施設の下請けの仕事でいろんなことをしました。お寺の掃除、内職、草むしり、テープ起こし、皿洗いなどをしました。内職ではロジンバッグという野球の滑り止めを箱詰めする作業や鉢植えの軽石をあみ袋にいれる作業もしました。軽石は鹿児島のシラス台地という所で採れるのでいつか行ってみたいと思いました。

 身だしなみにも気を付け接客を目指すけど接客は出来ませんでした。

 信頼関係の作り方、常識を学び、無料で物をもらったり、働いて売れ残りをもらうこともありました。

 僕の通ってる福祉施設は最初コミュニケーションの練習がメインの目的でしたが、働く場所という側面が強くなっていきました。自分1人では働けない人をサポートして福祉で税金をもらいながら自立支援してもらい一般企業に就職するのを目指します。

 でも僕は雇われになるのは嫌だったので起業しました。カフェの方の支援で独立し、その後もカフェに仕事をもらいました。福祉利用者からいきなり社長になる人はあんまりいないらしいのでオンリーワンかもしれません。

 僕は便利屋になりました。今まで福祉施設の人が僕に便利屋みたいに働いてくれたので恩返ししたいと思いました。

 僕の便利屋としての仕事は最初はルームメイトの遊び相手から始まりました。ルームメイトに自分一人じゃ楽しみを見つけきれない人もいるのでその方と一緒に遊びました。

 それから雑誌の配達の仕事を始めました。雑誌の配達は年金をくれた社会の人々への恩返しのつもりでした。神社やお寺にも配ります。

 そんなある日、僕の空想の中にまほろちゃんが出てきて、
「昔、神社でお祈りしたのを覚えてる? あの時からたかひろ君を守ろうとしたのよ」
と言われました。
 まほろちゃんは僕の家の近所にある神社の女神様という設定なんです。神様と友達になりたいという僕の願いが叶いました。

 便利屋の仕事はメインの配達の仕事が収入の9割ぐらいですが、草むしり、掃除、荷物運び、買い出しなどもしました。

 お神輿担ぎもしました。お神輿担ぎではお金はもらえませんが食べ物が沢山もらえます。

 スキー場の仕事もしました。ちょっとだけ滑らせてもらいました。

 僕が以前働いてたカフェでは暖炉があるので薪(まき)積みの仕事も任されました。

 クリエイティブの面では小説に加えて作詞作曲して歌ったりアート作品を作ったりもしました。僕の作品を委託販売してくれる所はなかなか見つかりませんでしたが、別のある福祉施設でアーティストの応援をしてくれる所がありそこの協力で委託販売してくれる所を紹介してもらいました。

 アート展で僕の作品を展示してもらったりコンサートで歌わせてもらったりもしました。小説の本、CD、ポストカード、Tシャツの販売をしました。

 近所のテーマパークどんぐり村でコンサートを開き、どんぐり村のテーマソングも作らせてもらいました。どんぐり村は障害者雇用をしているので福祉繋がりで紹介してもらいました。

 便利屋の仕事では、仕事を頑張ったことで信頼されてまた仕事をもらったり、遊び仲間や近所の人に仕事をもらうということも出来ました。

 以上が僕の今までの稼ぎ方です。

《自分のことをして稼ぐ》

 仕事は普通、他人のために働いてお金をもらいますが、自分のことをするだけでお金をもらえる場合もあります。

 心の癒やしとしてアートを描いてお情けで買ってもらうとか、健康のために畑仕事して親戚や近所に野菜を配るとか、大家さんの依頼で自分ちの庭仕事して稼ぐなどです。

《仕事を増やさずに収入を増やす》

 今でも福祉施設で働いている僕の友だちにとって1番手っ取り早いお金の増やし方は遅刻せず皆勤賞もらうことです。

 僕はせっかく稼いだお金が食費に消えるのが長年の悩みでした。

 僕にとって1番手っ取り早いお金の増やし方は食費の節約です。コーヒーを自販機やコンビニで買わずにスーパーでまとめ買いします。

 シェアハウスで今まで夕食が出てましたが朝食も出してもらえるようになりました。これによって外食する必要がなくなって食費が大幅に節約されました。

 僕のやっている配達の仕事では川柳コンテストをやっているのでそれに入選したら賞金が出ます。

 佐賀県ではサガトコといって万歩計で歩いた数を報告するとその分だけ佐賀の飲食店で割引できるというサービスがあるのでそれをこれから利用したいと思います。

 臨時給付金などの税金もたまにもらえます。最近は収入が増えてきて払う税金も増えてきました。仕事のための学びや経験を経費で落とすことも出来ます。便利屋の仕事は役所に申告してないですが、申告すれば補助金がもらえます、障害者割引でバス代、美術館の入場料などが無料です。

 どんぐり村も障害者割引で入場料無料です。

 今は働いて稼ぐお金が年金収入を超えるのが目標です。

つづく