辺野古の海は残すべき | 鈴木精一オフィシャルブログ「ピカイチのブログ」Powered by Ameba

辺野古の海は残すべき

辺野古の海は静か


辺野古に行ってきた。世界一危険な基地といわれる沖縄県普天間基地の返還合意から18年が経過、その移設先とされてきたのが名護市辺野古だ。この問題を自分の目で見たいと思い、123日に辺野古に向かった。




辺野古のある名護市は沖縄本島の真ん中より少し北、太平洋と東シナ海に面している。市の西側は市街地、辺野古は東側、北側と南側には民地や山林が広がっている。那覇空港から沖縄自動車道を経由し、一般道を通り1時間半で辺野古に到着した。この一帯はキャンプシュワブという米軍基地で、そのあまりの広さには驚かされる。名護市の面積は現在の久喜市の約3倍、この基地の大きさは20㎢で旧久喜市の面積に匹敵する。基地移転が取りざたされている辺野古岬は、そのほんの一部に過ぎない。






基地周辺はフェンスと鉄条網で区切られており、民間人は基地内に入れない。海岸線を車で走り抜けフェンス手前へ。よくマスコミで紹介される海岸線から基地に近づくことにした。砂浜を徒歩で基地に近づく。民地と基地を隔てる高さ5m程のフェンスと鉄条網が海岸線の先まで伸びている。警備する兵士の姿は全くない。しかし、このフェンスを隔てた先は日本であって日本ではない。



フェンスには1月19日の辺野古を巡って争われた名護市長選挙の名残が残されている。選挙は基地移設反対を訴えた稲嶺市長が再選、「基地はつくらせない」、「命どう宝」「ススム市長おめでとうございます」など数枚の看板が残っていた。



ここから基地内をのぞき込んでみた。1キロほど先にいくつかの建物が見える。人の気配はほとんどなく静かなものだった。それも当然で、あまりにも施設が広い。海岸線は白い砂浜、海は青くきれい、フェンスと鉄条網がなければリゾート地そのものだ。実際、辺野古の対岸は沖縄有数のリゾート地。基地の話題ばかりが報道されるが、この大浦湾一帯の海は、沖縄有数の素晴らしい海が広がっているが報道されない。この海の素晴らしさを、多くの日本人が知るべきだろう。







程近くに、埋め立て反対を訴えるキャンプ村があり伺ってみた。基地移設の問題が起こって以降、この場所で10年近く活動し、埋め立て反対を訴えている。先の名護市長選挙の帰趨を決めたのは、「辺野古のきれいな海は守りたい」との市民の想いだったという。昨年12月末に仲井眞知事が辺野古埋め立てを承認したことで名護市長選挙の流れは決したそうだ。仲井眞知事の選挙公約は普天間の県外移設。その知事が埋め立てを承認したことに名護市民は憤りを感じたそうだ。公約に対する真摯さ、謙虚さが軽んじられれば手痛いしっぺ返しが待っていることの証左でもあった。


ただ選挙結果とは別に、沖縄の世論は二分されているのではないか。心の優しい沖縄県民にとって、賛成・反対と県民同士で争わければならない、そのこと自体が大きな心の負担になっているのではないか。もっともっと沖縄の気持ちに寄り添っていくことを忘れてはいけないと思う。駆け足で回ってきた名護、辺野古であったが心には重いものが残る。「真摯さ、謙虚さを忘れるな。権力を笠にきて動けば市民の気持ちは離れる」。政治や行政に携わるものは肝に銘じなければならないことだ。