「久喜断層問題」に終結を | 鈴木精一オフィシャルブログ「ピカイチのブログ」Powered by Ameba

「久喜断層問題」に終結を

「久喜断層は存在しない」


久喜断層をめぐる30年の議論が終結しそうだ。これはつくばの産業技術総合研究所が10年にわたってこの地域の地質調査を行い、最終結論が年度内にまとめられるからだ


市民の多くは、今も「久喜断層はある」と信じている。

これにはそれ相応の理由がある。

1つは、久喜周辺の揺れが大きいこと。地震発生の際、揺れの速報値がテレビに表示されるが、時々、周辺自治体よりも大きく表示されることがある。久喜市の地震計は市役所の南200mに設置されていているが、久喜市の揺れが大きく表示されると、地震計の下を断層が走っていると真顔で言ってこられる方もいる。この場所は新川用水沿いで可能性はゼロではないが、久喜断層が独り歩きをしている影響の現れだろう。

2つは、公的機関を通じて久喜断層の存在を20年以上にわたって宣伝してきたことだ。その経緯はこのようになっている。

昭和56年、清水・堀口教授の研究で元荒川構造帯の東辺(久喜市の中央部付近を北西から南東に分断)に断層が存在するとし、久喜断層の名称が使われた。

昭和62年、市の刊行物「久喜市の地震被害」の中で、清久=太田袋断層(新川用水に沿って断層がある)が久喜断層と断定された。

平成10年発行の埼玉県地震被害想定調査報告書で、久喜断層はM7.4の断層地震を引き起こす可能性があるとされるに至り、久喜断層の存在は確実とされた。

以上のような理由から、久喜市の真ん中を断層が走っていると認識されてきた。


平成17年頃を境としてこの状況に変化が現われる。久喜断層を含む本格的な地質調査が行われたからだ。


埼玉県中央部の大宮台地から加須低地にかけ精密な地質調査がこの10年行われてきた。2550m間隔での反射法地震探査、ボーリングによる地質調査と地下水の調査を実施し、地表から1キロ地下までの精密なデータが整ってきている。データ解析はほぼ終わり最終結論を待つ段階だが、それによると久喜断層があるとされた地域には顕著な地質のズレは見られないと結論付けた。つまり30年間に亘って言われてきた久喜断層は存在しないことが明らかになった。まだ、ボーリングデータと地下水データの照合が残されてはいるが、結論がより明確になるだけで最終結論は変わらないだろう。巷間言われてきたM74を引き起こす久喜断層そのものの実態がないと公表されることは間違いない。

さて、こうなると残された問題がもう1つ。それは市民への周知と久喜断層の論議を先導してきた公的機関の責任だ。


昭和56年から30年以上に亘って久喜断層という亡霊に振り回され、狼少年になってしまっている経緯を正していく作業が市や県には残されている。市民の多くが今も久喜断層の存在を信じ不安に感じているだけに、この問題を決着させる責任と義務が市と県にあるのではないか。

9月議会でこの問題を取り上げ、久喜断層問題を避けるのではなく真摯に向き合い、真実を伝え周知していくことが市民の不安を払しょくし、久喜市の利益につながる道だと言っていく!・・・久喜断層問題に本当の決着をさせるためにも・・・。