3.11を忘れない。 | 鈴木精一オフィシャルブログ「ピカイチのブログ」Powered by Ameba

3.11を忘れない。

東日本大震災から1年。

その日、皆さんはどこであの震災と遭遇しましたか?
私は、市役所5階会派控室で仕事の整理をしていた時に
大きく長い揺れに襲われました。地震直後、室内の書類は散乱、議会事務局の書棚は倒れましたが、役所の建物に被害は見受けられませんでした。


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震災直後、NHKの第一報は次のように報じました
マグにチュード7.9 震源は宮城県沖、深さ10キロ
宮城県北部で震度7、東北から関東までの広範囲に震度5以上の揺れ。

震源が浅く、揺れが広範囲に及んでいる。


これは大変なことになったと直感、ニュージーランド大地震と同じ惨状が東北で起きたと感じました。役所の外には地震を逃れた職員、市民が大勢いました。

「事態は深刻。市内を見てくる」とそこにいた市長に告げ、被害状況の把握に向かいました。

県道さいたま栗橋は、信号機が止まっていた。

停電が起きたことが分かりました。車の流れは途切れ途切れでしたがそれなり進みました。運転しながら周囲を見回すと、いたる所で屋根のグシが崩れ落ちているのが確認できました。短時間で江面~流~除堀~原~樋ノ口とまわり、被害状況を把握。家屋被害が直接数えただけでも30軒を超えていました。久喜市全域ではその何倍、何十倍の被害になっていることは容易に想像できました。


自分の目で確かめたこの情報を伝えるべく市役所に向かいました。

が、信号が完全に止まり、いたる所で渋滞が発生。市役所までの4キロに1時間以上を要しました。午後5時過ぎに市役所到着。役所に戻るなり緊急防災会議が開かれることを聞き、「直ぐに情報提供したい」と申入れました。会議の冒頭で被害を報告、市内全域では相当な被害が出ていることを告げたました。その時点では市の情報は少なく、提供した情報は役立ったと思っています。


夜を徹し、市も、職員も、議員も、対応にあたりました。

報道から、時間を追うごとに巨大地震の姿が明らかとなり、マグニチュードは当初の7.9から9に修正され、地震、津波、原発、帰宅困難など、その日に起こったことの重大さが伝わってきました。久喜市内でも家屋被害が数百棟に及び、南栗橋地区では液状化に見舞われていたことも翌日以降見えてきました。


あの時から1年。


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市内の地震被害の痕跡は表面的には少なくなってきています。

避難所に非難された東北の方たちは久喜を離れました。表面的にはそうですが、身寄りを頼って非難されている方、液状化後の復興策、原発事故による諸問題など、まだまだ課題が残されています。そして東北では、瓦礫の撤去が進んだぐらいで復興に向けての取り組みはまだまだこれからです。たくさんの人たちが今も苦しんでいるのが現状です。


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震災から1年がたちました。自分にできることは小さなことですが、これからも自分にできること、やるべきことをやっていきます。
私たちは、あの時を決して忘れてはならないと思います。