〈O〉


  「失礼しまーす、大野先生~」

「あ、櫻井くん、今日も?」

「はい、お願いします」


壁掛けのキーボックスから、音楽室の鍵を取り、櫻井くんと音楽室に向かう


音楽室の鍵を開けて、櫻井くんに渡す


「じゃあ、僕、下の準備室にいるから」

「はい、ありがとうございます」


櫻井くんは、僕が勤める高校の 生徒だ

事情があって、自宅でピアノの練習が出来ないので、放課後 学校の音楽室のピアノで 練習をしている

僕は、美術の教師で、美術部の顧問をしてるけど、部員数は 少なく、絵を描くのも 美術室で描く訳じゃなく、皆 思い思いの場所で 描いてるので、僕も放課後は準備室にいることが多い


櫻井くんの音楽室での ピアノ練習は、許可は下りてるものの、教室の鍵の開閉は 教師が立ち合うと いうことで…

担任の先生に お願いしてたらしいけど、運動部の顧問で、放課後は 職員室に居ることが少ない


櫻井くんが、毎回 探しに行ってるのと、音楽室は3階なので、担任の先生も鍵の開閉の為だけに グラウンドと音楽室の往復は 大変かな…って…

僕が 立ち合いましょうかと 申し出ると、櫻井くんにも 櫻井くんの担任の先生にも お願いします!って感じで… 


♪♪♪♪♪~


あ、始まったね…

美術室の奥の準備室の 真上が 音楽室で…

窓を開けてると 櫻井くんの奏でるピアノの音が聴こえてくる…


このピアノの音は…前から 知っていて…力強いのに 優しさを感じる この音色が 僕は好きだった…


誰が弾いてるんだろうって 思ってた…

すぐに 櫻井くんだって わかったけどね…(笑)


櫻井くんのピアノの音色を聴きながら、準備室で 絵を描いたり、途中 コーヒーを飲んで休憩したり… この時間が とても心地よいものになっている…


でも…この心地よい時間も…もうすぐ終ってしまうのか…

櫻井くんは 3年生だからこの春には卒業してしまう…

櫻井くんの卒業の時は…ハンカチ2枚必要かもしれないな…(笑)


音楽室の鍵の開閉に立ち合うようになったのは、櫻井くんが 1年生の夏休み前から…

夏休み中も 毎日では ないけど、時々 ピアノの練習に 来ていたっけね…

練習が 終る頃に、音楽室に行って また鍵を閉めるのに立ち合う…

その後、たまに 準備室で…みんなには 内緒だよって…コーヒーを一緒に飲むこともあった…

色々 話しもしたよね…ピアノの練習頑張ってるけど、ピアノはあくまで趣味で…でも好きだから習ってるんだ、上手くなりたいんだって…


そして…


夏休み明けに 告白してくれたんだよね…


正直…嬉しかったよ…

時々…本当に 時々だけど…生徒が告白してくれる時がある… もちろん受け入れられない…

僕は…先生だからね…

よくあることなんだと 思う…先生に憧れる…みたいなさ… 僕も学生時代には 少しはあったもの…憧れの先生とかさ…

でも…一時のこと… 今では その先生の名前さえ覚えてないよ…

だからね…勘違いだよって…卒業したら…きっと忘れてしまうんだよ…


櫻井くんに告白された時は…断ることに…少し躊躇いが あった…

だけど…

やっぱり受け入れられない…

僕は…先生だから…


断った次の日から、数日間…櫻井くんは 姿を見せなかった…

もお…櫻井くんのピアノの音色は聴けないのかと…不安になった…


けど、何日か経った頃…


『失礼します、大野先生~』て、鍵を取りに来た時は… 心底 ホッとしたよ…


それ以降…


櫻井くんは 何事も無かったかのように…また毎日、放課後 鍵を取りに来た


時々は、準備室で僕の入れたコーヒーを一緒に飲んだ…

また…告白される前の感じに戻った…


僕は…櫻井くんを 意識してしまってるけど…気づかれないように しなきゃね…

せっかく…また あの心地よい時間がもどってきたんだもん… でも…


嬉しいような…少し淋しいような…複雑な気持ちだった…


櫻井くんが2年になった ある日…


放課後、渡り廊下を歩いてる時に…中庭の隅っこで…

櫻井くんと 女子生徒が 2人で いるところを見かけた…彼女が… 出来たのだろうか…

やっぱり…女の子の方が いいよね…

未だに僕のことなんて…想ってる訳ないよ…


僕は…思ったよりショックを受けていた自分に動揺してたのだろう…

その日の放課後…櫻井くんに…


『彼女、出来たんだね~』

『え…』

『さっき、見ちゃった~』

『あれは、違いますよっ…』

『またまた~…照れなくても…』


ガンッ!

(ビクッ…)

櫻井くんが…準備室の棚を 叩いた…


『俺の好きな人は…変わってませんよ…』

『…!』


泣きそうになったのを…悟られないように 俯いた…

さっきのは…嫉妬だ…


僕は… 櫻井くんのこと…

生徒以上の気持ちで 見てしまっている…


好きと… やっぱりダメって気持ちと 葛藤の日々…


そして…


今に至るんだけど…


放課後の… この心地よい時間は…


いつまでも 続かないんだよね…

櫻井くんが 卒業してしまったら、もお この時間も… 準備室で 一緒にコーヒーを飲んで話すことも なくなってしまう…

卒業したら…

僕のことなんて 忘れてしまうのだろうか…

櫻井くんには…覚えていてほしいなんて…

僕のエゴだろうか…


櫻井くんの…「大野先生~」て呼ぶ声も…

卒業してしまったら 聞けなくなるのか…

櫻井くんには…名前で呼んでほしい願望もあるけど… それは 叶わないよね…


あ… 


ピアノの音が 止んだ…


時間を見ると… もう部活動の 生徒も 帰宅する時刻だ…


少しすると、櫻井くんが 準備室に来る


「大野先生、終わりました」

「お疲れさま、コーヒー入れるけど飲む?」

「いただきます♪」


他愛のない 話しをする…この時間も 好き… 


やっぱり…櫻井くんが卒業する時は…ハンカチ 3枚は 必要かもしれないな…


そして、僕は 思う…


櫻井くんには…


僕のこと…覚えていてほしい…!


大切にしたい時間が 過ぎるのは…


あっという間だ…


もう…3年生は自由登校だから…


毎日 学校には 来ない…


櫻井くんは…この間も…


放課後は ピアノを弾きに学校に来ていた…


明日は…


卒業式…


ハンカチ…3枚で足りるかな…


だって…卒業式、前日の今日…


音楽室から 聴こえてくる この曲…


知ってるよ…


あの5人組の アイドルグループの曲でしょ…


One Love…


前に…好きなんだよねって リクエストした…


♪百年先も愛を誓うよ 君は僕の全てさ


て、歌詞のとこ…


さっきから…


そこばっかり 繰り返して 弾いてるんだもん…


もお…


僕は…溢れる涙を…


止めることが 出来なかった…