ribbonの代表者

齋藤のプロフィールです。


社会人の息子と大学生の娘がいます。

若いお母様からはもうすぐおばあちゃんの世代になってしまいますね😅


小さい頃から音楽は大好きでした。

家には、母が買ったピアノがあって赤ちゃんのころから

ピアノをおもちゃみたいにして弾いていました。

家にあったレコードに合わせて

歌ったり、踊ったりもしていました。🩰

        🎶•*¨*•.¸¸♬•*¨*•.¸¸♪


4歳からピアノを習いはじめ

母が厳しく毎日練習させたため

実家のあった田舎ではだいぶ、熱心な方ではありましたが

井の中の蛙だったと思います。🐸

でも、練習が嫌いで、しぶしぶ練習していました。(発表会は、大好きでした。)


中三の時に音大を目指すと決心しました。

必死に練習して(この時は、自主的に笑)

武蔵野音楽大学のピアノ科に入学しましたが

才能豊かな同級生達に圧倒され

すっかり、自己肯定感が下がってしまいました。


また、実家が経済的にそれほど裕福ではなかったため

大学時代はアルバイトに明け暮れてしまいました。

はじめ、ウェイトレスをやっていましたが

あまりうまくできず、また落ち込んでしまい‥。

ダメだ、こりゃ、という事で

ウエイトレスはあきらめ

そのうち知り合いの経営しているピアノ教室で

子どもたちにピアノを教えるようになりました。

経営者に初歩のリトミックを教えてもらい

教えるうちに

どうしたらもっと子どもたちが楽しくレッスンできるように導けるのか

色々と考えるようになりました。


中でも、小さい子がとても喜んだのは

私が弾くピアノに合わせて

子供たちが、色々な動物になる、というものでした。

これは見ているお母様も笑顔になって✨️

そのうち

「じゅんこ先生のレッスン室からは笑い声がきこえるね!」と、言われるようになりました。


そのうち結婚して2人子どもが生まれたのですが

下の子が生まれるころに、母が心臓病で

倒れてしまい、一命は取り止めましたが

子守りをしてもらって

ピアノの仕事を続けるという事が難しくなってしまい🥲

しばらくは、専業主婦でした。

そのことは私にとってとてもショックな出来事となりました。


ふたりの子どもは

残念ながら優等生というわけにはいかなくて

なかなか色々と手がかかりました。


下の子どもが中学生になったくらいから

本格的に、またピアノの勉強をはじめました。

ところが

やっと子どもが大きくなって

今まで、あまり練習できなかった。

ずっとバリバリ弾いている他のピアノの先生たちに

少しでも追いつきたい、という気持ちがありました。

それが

焦りになってしまい

無理をしすぎたのか

左手を痛めてしまいました。


これは参りました‥。

やっと、たくさん練習できると思ったのに‥。

大好きなショパンやベートーヴェンが

満足に弾けなくなってしまいました。



落ち込んでばかりいても仕方ないので

治療をしながら

本格的には学んでいなかった

リトミックの講習を東京の井上幸子先生がやっていらっしゃる

こども教育センターで受ける事にしました。



緑のTシャツが私。

他のメンバーの方はそれぞれ各地でご活躍です。




その頃は、まだ高校生の娘のために5時起きで

お弁当🍱を作っていて

講習に行っても、眠くて頭が働かない事も

多かったのですが💦

同じような志をもつ仲間とリトミックを学ぶのは

とても楽しかったです。

井上先生を囲んで、あるいは同期で飲み会をしたりもしました。🍻🍶✨


これがコロナ禍の前のことです。