シミルボンで書評コラムを書くようになって気付いたことあるのですが、それは歴史小説の巻末に必ずある「参考文献」の多さ。
新選組ファンもまだまだ初心者レベルの私ですがそれなりに歴史研究家の名前を覚えるようになり、参考文献にある名前を見て
 
「ああ、この作者はこの研究家の説を推してるんだな」
 
とか思ったりはします。
参考文献が多いということは、作品を書き上げるにおいて題材について色々と調べたということです。
注意するときのコラコラが鹿児島弁とか知らなかったし、静寂を表す「シーン」というのは手塚治虫の造語だったとか、本を読めば自然と学ぶことはありますがそういうのは稀なことで、元々は書き手が調べたことが書いてあるのだから、調べた方が凄いに決まっています。
たとえばスパイをテーマにした小説を書くとして、世界情勢や政治だけでなく人種の特性から政治家や軍人の人となり、軍隊の訓練方法、銃の種類や重さ、電子機器や登場人物の乗る列車車両や車のエンジン原理についても調べる必要があるだろう。
お洒落なスーツやセレブパーティも必要かも。
 
たくさんの文献を調べるという行為は物事を研究することで、作家というのは研究家なんだと気付いた今日この頃です。