『橋下徹―突出した異能者の源流』の連載1 


橋下徹―突出した異能者の源流

この原稿は、『橋下維新はパクッてなんぼ』(第三書館)の続編として書かれた。二〇一二年の九月末に書き挙げたものである。その後、「週刊朝日」での橋下徹氏に関する記事が問題になったが、筆者としては、この記事の内容、作者、編集者、出版社の対応にも疑問を持ったし、橋下氏のそれへの反論に対しても疑問を持っている。いずれはこれらを検証したいとは考えている。

だが、小生のライフワークであるクリルタイ運動をはじめたので、それに集中しなければならない。筆者としては間違った展開はしていないと考えてはいるが、無用なトラブルを避けるために、一部分はカットしたうえで、ブログに掲載することにした。

はじめに 

大阪ダブル選挙前に流された橋下家の衝撃的なネガティヴ情報 ネガティヴ情報への橋下による必死の反撃

序 章 本書のキーワード、「サンカ」「カワタ」「部落民」

「サンカ」とは日本列島の山河生態系に適合して生きた先住民の末裔 「サンカ」の特徴は無戸籍、無宗教、自給自足 カワタ村とはいつからどのようにしてできたのか カワタとは倭国日本によって奴隷化され先住民の末裔 

第一章 橋下家は居つきサンカの系統か

「週刊文春」が報じた橋下家先祖の出身地「関西の山裾の被差別部落」とは 橋下家先祖の出身地は兵庫県北西部の宍粟市 橋下家は祖父の時代に宍粟から大阪に移住した 宍粟市はサンカの聖地であった 独立自由人、独立自然人としてのサンカ サンカは心身ともに健康であった サンカの人々は日本列島の歴史の中で重要な役割を果たした 橋下家は居つきサンカの先住民系である 橋下という名前もサンカと関係がある カワタ村とは豊臣秀吉が皮の生産を最下層のカワタに割り当てることによって成立した ようやく見付けた橋下集落のあるA地区のカワタ村の記述 宍粟のカワタ村と大阪のカワタ地区との間には古くから皮革の流通ルートがあった

第二章 たたら製鉄の聖地、宍粟市千種町

宍粟郡と千種町はタタラ製鉄の聖地 宍粟鉄は長船、姫路、大阪などで珍重され、名刀が造られた たたら製鉄と別所地域、俘囚郷 たたら製鉄と被差別部落 倭国の大和朝廷の先住民の強制移住政策と俘囚部落 日本先住民は奴隷化されたが、職人や芸人になって生き延びた 混同されるサンカと部落民

第三章 橋下家は大阪の同和地区に移った

大阪における部落の起源 橋下家の人々は同和であることに誇りをもっていた 同和地区の人々は世間から排除されてやくざになる場合が多かった 戦後になってサンカやカワタの民が多数、大阪の同和部落に融け込んだ イケメン、美人が多かったサンカ

第四章 橋下徹は大阪の同和地区に育った

橋下徹の出生地は本当に東京なのか 母親は自分が楯になって徹少年を全力で守ってきた女傑であった 橋下一家は同和地区の公営住宅を転々としていた 徹少年は同和地区に住んでいたが、同和ではないと思わされていた 徹少年が育った飛鳥地区は融け込みサンカ、部落民、在日が多い同和地区 徹少年は最低辺の中でも、したたかに生きる術を学んだ

第五章 荒れたやんちゃくれの少年期

恵まれない徹少年は「常勝巨人」にあこがれた 徹少年「荒れた小学校」から「もっと荒れた中学校」へ 徹少年は中学校時代はガキ大将のジャイアンについたスネ夫だった いやらしいほどの強者迎合は少年時代からあった 徹少年は「同和問題」で屈折した体験 橋下の揺れ続ける同和問題発言

第六章 強烈な上昇志向の青年期

並はずれた強烈な上昇志向 「不良少年」が突然、有名校へ進学して奨学金制度を利用する 高校でもやんちゃくれで変人で ご都合主義、現実主義者で友だちのいない孤立した人生 ラガーマンで体育会系の突破力を身につけるがサッカーには冷たい ぐじゃぐじゃの人間関係で虚実を使い分け、自分の気持ちをいつわる

第七章 母と妻に支えられた大学時代

 

大学時代に同棲生活、母と妻に支えられて弁護士登録 大学時代、詐欺商売で失敗し借金、「暴力団」の取り立てにあって法律を勉強 切羽詰まった状況だから司法試験に受かった 無類のセックス好きはサンカの血潮か 無類の下ネタ好きはサンカの血潮か サンカ社会では男女のチギリを犯せば斬首刑? ひたすら高度なテクニックで子作りに励む? 進んで子供を戦地に送ろうとする親 橋下徹将軍様の育児家事まかせとスパルタ教育 体罰へっちゃら、当たり前教育 橋下の学校教育論は「邪を排除するな」「いじめっこはぶちのめせ」 橋下の自衛隊への賛美と自衛隊での訓練の強制失敗

第八章 私利私欲に走ったサラ金弁護士時代

異例の速さで独立を果たす 橋下徹に「弁護士の資格」があるだろうか 私利私欲に走ったサラ金弁護士時代 無法弁護士、喧嘩弁護士としての橋下 「脅し」「詐術」「だまし」「かけひき」「詭弁」を弄する 「ありえない比喩による論理のすり替え法」 「交渉においては相手方をだますことはときに必要だ」 「相手を納得させる譲歩の演出法」 「合法的な『脅し』で相手の弱みにつけ込む」 「不毛な議論をふっかけて煙に巻く」 法律に従わないやんちゃくれ弁護士 異常すぎる弁護士による、異常すぎる弁護士、弁護士会批判

第九章 テレビ出演で全国区になったタレント弁護士時代

タレント弁護士として人気テレビ番組のレギュラー獲得 「一人殺したら死刑が原則」をつらぬけば、橋下には命がいくつあってもたりない 弁護士会に逆らい続ける「品位のない非行」弁護士 「経験主義で武装したケンカ集団のリーダー」 「多種多様な人との接触が交渉能力アップのカギ」 「交渉は圧倒的に後攻が有利」 「人間性は切り離して、割り切って交渉を進める」

第十章 泣かず飛ばずの大阪府知事時代

「出馬する、しない」の繰り替えし 「選挙がすべて」「自分こそ民意」を叫ぶ選挙至上主義 思いつきで提案しては撤回、コロコロと変わる朝令暮改 住民、高校生にも自己責任を押しつけ、自分では責任転嫁 あちこちでぶちぎれ瞬間湯沸かし器 あちこちへ罵詈雑言の数々 あちこちへ独善主義をばらまく あちこちへ独裁主義をばらまく あちこちで傍若無人を繰り返す 批判を許さない強権体質 不正と違法とスキャンダルの数々 バカ正直発言でひんしゅくをかう 思いつき発言で混乱を引き起こす 必要以上の卑下と謙遜 サービス過剰のユーモアのセンス 開けっぴろげのおしゃべりもサンカの血筋か 無類のギャンブル好きもサンカの血潮か タフネスだが、激務とストレスで激太り

第十一章 猛烈な仕事師としての大阪市長時代

一点突破主義では全面展開できない カメレオン的言動も次々と 知事、市長になっても強者への迎合は変わらず 「決断力、行動力、発信力を兼ね備えている」としても実現にいたらず 相互監視と密告策謀が次々と 維新八策には「競争力の強化」が繰り返される 住民不信と住民運動不信があらわに デモが嫌い? デモが怖い? 選挙にばかり矮小化するな!無節操でむずがゆい「ほめ殺し」 涙の演出といくじなしの演出 弱者切り捨てと切り捨て御免を次々と ツイートを武器にポピュリズムを実践 国政に進出するのか、しないのか

はじめに 

大阪ダブル選挙前に流された橋下家の衝撃的なネガティヴ情報

本書のタイトル、サンカ、カワタという言葉は、一般的には聞きなれない言葉である。これは日本先住民系の人々に対する他称であり、蔑称であるが、本書では自称、尊称として使う。

サンカ、カワタとは何か。なぜ、橋下徹はサンカ、カワタの末裔といえるのか。日本史上、最大級の異能者たる橋下徹は、サンカ、カワタの民の正当な継承者なのか。それともサンカ、カワタのはみ出し者、裏切り者であるのか。これが本書の最大のテーマである。

実はサンカ、カワタの歴史は、公式の歴史からは無視されることが多いが、日本の歴史の最も根源的なそれを形成しており、サンカ出身、カワタ出身の権力者、有力者は少なくない。サンカとカワタの歴史を抜きにして日本の歴史の真実は語れない。その真実をえぐり出したのが橋下の出自であり、橋下自身なのである。日本人はこの真実から目をそらすことはできない。

大阪府知事あるいは大阪市長としての支持率は、これまで六〇パーセント台から時として八〇パーセント以上、「日本のリーダーとしてふさわしい政治家」としても、二〇パーセント以上と飛ぶ鳥落とす勢いの橋下徹。

しかし、二〇一一年一一月の大阪ダブル選挙に向けては、最大の支持者であった島田伸介の失脚、やしきたかじんの病気、橋下の近親者をめぐる週刊誌等によるネガティヴ情報によって、はたして立候補した大阪市長選挙で勝てるかどうか、疑問視される場面もあった。

そのマイナス情報はすさまじいものであった。主なものを挙げてみよう。ただし、情報は錯綜しており、事実ではない部分もあるようだ。

橋下の父親、橋下之峰(ゆきみね)は、大阪府八尾市安中(やすなか)の部落出身、同和地区出身で、同和向け住宅に住んでいた。之峰は山口組系の「暴力団員」で、彼がはじめた建設会社の経営に行き詰まり、ガス自殺した。このため橋下は母子家庭で幼年期を過ごした。

彼の叔父、之峰の弟、橋下博焏(ひろとし)は、兄と同じく山口組系の「暴力団員」で、兄の建設会社の役員を務め、この会社は橋下が知事になってから受注額が二倍になった。この伯父からパーティ券を購入してもらっていたので、政治資金規正法違反ではないかと府議会から追及された。

博焏の息子は闇金融業に勤めており、もう一人の「暴力団員」とともに金属バットで人を殴り殺して、刑務所に入っている。

橋下の母親の再婚相手、義父は新聞拡張員を束ねる会社を経営しており、橋下の法律事務所が、この義父の利用したキャバレー代金などを経費請求していた。このため橋下の法律事務所が申告漏れで、国税庁から修正申告させられた。

一般的にはこれだけのネガティヴ情報を流されれば、マスコミなどによってさらに追い詰められ、立候補断念に追い込まれるのが常であるが、橋下の場合は、そうはならなかった。逆に「そんな逆境にありながら、ここまで頑張ってきたのか」と同情を集めた。これが大阪の政治風土なのだろうか。

ネガティヴ情報への橋下による必死の反撃

橋下は大阪ダブル選挙の際に、週刊誌で流されたネガティヴ情報に、二〇一一年一〇月二九日付などのツイッターで、以下のように二〇回近くも必死で反論している。これらはほとんど事実を言っているように思われる。

「実父とその弟(伯父)がやんちゃくれで実父が最後に自殺したのは事実。僕が小学校2年生の時。物心ついたころには実父は家にいなかったのでほとんど記憶なし」

「実父と叔父が、それでもむちゃくちゃやんちゃくれで、暴力団関係者であったことは周囲の話からは聞いた。同和地区に住んでいたことも事実。伯父の愛人に子どもがいて(僕の従兄)、犯罪を犯したことは事実」

「俺の記憶にない実父の出自、行状、死因、伯父の出自、行状、従兄の事件が、俺の何のチェックになるのか。それは俺の不祥事か。血脈を俺の現在の言動の源泉というなら、子供も同じということだ。個人の人格よりも血脈を重視すると言う前近代的な考えだ」

「母が再婚する前、幼少時代には伯父を始め実父方の親戚筋のところに泊まったことも多かったし、お世話にもなった」

「しかし僕を育ててくれたのは、母親であり現在の父親である。伯父に小遺いやお年玉の類を除いて生活の経済的援助をしてもらったことは一切ない。僕の大学進学費用、妹の留学費用も全て現在の父のおかげである」

「子供は親を選べない。どのような親であろうと、人はそれを乗り越えていかざるを得ない。僕の子供も不幸極まりない」「子供には本当に申し訳ないが、今回の一連の報道で闘志が沸いてきた」

橋下は父親や伯父が組員であることは、認めざるをえなかったが、同和地区に住んでいたことは認めているが、部落出身であることは認めていないように思われる。ただし、伯父は「ワシも兄貴(橋下の父親)も同和や。同和やいうのに誇りを持っとった。ワシも兄貴も土井組の組員やったんや」と認めている。

橋下の口癖は「俺は逆境に強い」であった。母子家庭、貧困、「ヤンチャ地域(同和地域)育ち」「荒れた学校」……。これにまた「父親と伯父が暴力団員」などという「逆境」が加わった。確かに彼にはこれらの「逆境」をバネにしてのし上がっていくようなところがある。

筆者も橋下のツイッタ―による見解について理解できる部分もあるが、「部落」「暴力団」については、もっと深く考察する必要があると考えている。単に「部落を差別するな」というだけでなく、部落とは何か、部落はなぜ発生したか、それはいかにして解決すべきなのか。「暴力団」についても同じようなことがいえる。

「部落」とか「暴力団」という言い方も、そもそも差別的なものではないのか。部落や組の存在自体が、卑下すべきもの、絶対悪のようにとらえるのはおかしい。誰も望んで部落民になったのではない。あるいは生まれが特殊と見られることによって、「被差別部落民」などと呼ばれることを望んではいない。「暴力団員」についても同じようなことがいえる。

本書では、敬称を略させていただくことを最初にお断りさせていただく。