※BGM
反社会勢力のプロパガンダで近代史は捻じ曲げられています。
ネット上では沖縄問題はものすごい数が挙げられていますが、北海道に侵攻しようとしたロシア軍のことやシベリア抑留のことは、殆ど上げられていません。日本国民である私たちは「先人たちが守ってくれた歴史」を知らなければいけないのです。
ロシアのプーチン大統領と安倍首相の首脳会談はまだ記憶に新しいと思います。
北方領土問題は結局は棚上げのままです。
プーチン大統領の考えは2016年に山口で行われた日露首脳会談の共同記者会見の時と何も変わってはいないと思います。
ロシアとの経済交流は日本の安全保障上においても重要だと思いますし、将来においては、日露平和条約も締結してほしいと思います。
「ロシアは信用できない国だ」。
だから反対する。
日露の歴史を知る人のこういう意見は非常に多いと思います。
終戦時に、日ソ不可侵条約を破ったことや、ヤルタ会談などを例にあげていると思います。
勿論 その通りだし、日本を裏切った国という事実は変わりません。
それでも、いずれ日本は日露平和条約に向かわなければなりません。
理由はただ一つ。
戦争はしたくないからです。
日本の周辺は中国や朝鮮半島など仮想敵国ばかりです。選択はひとつしかないのです。
今の日本は、他国からの武力侵攻以外では戦争をしない国です。
自民党の憲法改憲の草案を読んでも、この1点だけは改憲したとしても変わらないと思います。
ですが、日本に巣くう反社会勢力は憲法改憲反対を声高に叫びます。
彼等の多くは日本人では無いのです。そして、
彼等は日本人が怖いのです。
だから反対するのです。
日本人が団結したときの強さ、怖さを少なくても北朝鮮と中国は知っています。
特に東日本大震災で見せた冷静沈着な行動する日本人を見て本質は何も変わっていない事を感じたのです。
ミサイルが一発でも日本の国土に被弾し犠牲者が出たとします。
日本人は即団結するでしょう。
そういう事を世界中で理解していないのは韓国人だけだと思います。
だからこそ余計に私たちは誇り高き先人たちの歴史を知らなければいけないのです。
まずは、以下の文章を読んで見てください。
ソ連に日本人は何をされたのか、そして日本人はどのように対応したのか、知るべきなんです。
凄まじかった 鬼畜・ソ連軍兵士の残虐行為
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html 引用
ウィリアム・ニンモ氏の著書 『検証・シベリア抑留』 加藤隆訳 (時事通信社 1991年3月発行)
第47頁は
「要するに、満州・北朝鮮におけるソ連軍の日本人虐待は、口ではいい表せないほどひどいものだった。暴行と強奪は日常的だった。そして残虐な行為を犯した。 ・・・とくに野獣のように乱暴なやり方で女を奪い、 抵抗するものは片っぱしから殺した。 ソ連軍の兵士たちが日本の女にしたことは、 いまでもぞっとするほど残虐なものだった」
と述べている。
凄まじかったソ連軍兵士の日本婦人強●
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html 画像元
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html 画像元
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html 引用ここまで
ソ連軍の 暴行と強奪行為は悪魔の所業といわざる得ません。
ベトナムで蛮行を行った韓国軍と何ひとつ変わらないのです。
この非道な行為は当然、旧日本軍も把握していました。
その事実を踏まえてさらに読み進んでください。
※自分で書くものよりわかりやすいので
以下、 「伊那の谷から古代が見える」さんのブログから一部を引用させていただきました。
※理解しやすいよう画像や文章は追加してます。
8月21日まで ソ連軍から北海道を守り抜いた 占守島の第91師団
ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の 8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が 占守島に上陸、日本軍守備隊と戦闘となった。
これを迎えうけ1945年8月18日~21日、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘を【占守島(しゅむしゅとう)の戦い】という。
ソ連はヤルタ会談の秘密協定で米英から、千島列島をソ連に引き渡すという言質は得ていた。
しかし終戦3日前の8月12日、占守島に漁船で移動中の日本軍の独立臼砲部隊が、米艦隊に全滅させられ、88名の戦死者を出している。この地域に米軍が進出していたのだ。
つまり、日本固有領土の千島列島を、米英が簡単にソ連に引き渡すか疑問を持っていたソ連は、ヤルタ会談の秘密協定ではなく、自ら千島を占領しようとしたのだ。
ソ連はその後米国に対して北海道の分割統治の要求を行っている。
つまり 千島侵攻が成功していれば北海道まで侵攻しようとする意図があった。
8月15日
04:30 ソ連軍は作戦行動開始した。
12:00 日本玉音放送。ソ連軍乗船開始
8月16日
17:00 ソ連軍乗船完了
8月17日
02:00 ソ連軍出航
国端崎の監視所からは「海上にエンジン音聞ゆ」と急電がはいった。
(このとき日本軍守備隊第91師団は、すでに武装解除準備をすすめていた)
22:45頃 ソ連軍ロパトカ砲台から 占守島の日本軍守備隊に向けて 海峡越え砲撃が開始された。
8月18日
00:30頃 日本軍 射撃開始命令
01:10 ソ連軍先遣隊 竹田浜に殺到
池田末男陸軍少将(士魂戦車隊隊長)
諸士、ついに起つときが来た。
諸士はこの危機に当たり、決然と起ったあの白虎隊たらんと欲するか。
もしくは赤穂浪士の如く此の場は隠忍自重し、
後日に再起を期するか。
白虎隊たらんとする者は手を挙げよ。
このとき不思議なことが起こりました。
濃霧が突然、さっと薄れたのです。
そして、その場にいた全員が見たのです。
それは、霧でおぼろにしか見えなかった隊員たちが全員が挙手している姿でした。
士魂部隊は、全員白虎隊となることを選択したのです。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1605.html 一部引用
第91師団は 国端崎の砲兵、竹田岬と小泊崎の速射砲・大隊砲が協力して反撃を開始。
そして 陸海軍航空機による決死の反撃を行うとともに、重砲によって 敵部隊への砲撃を行い、ソ連軍の指揮系統を 大混乱に陥らせた。
10:00ごろ ソ連軍の上陸軍主力が アルチューシェン大佐の独断により 対戦車隊攻撃。
15:00ごろ 男体山中腹周囲に ソ連兵が浸透。
激戦の中、第91師団の参謀長と世話役の大尉は、日魯漁業の 女子工員のことを気遣った。
島には 缶詰工場があり、従業員の中には 約 400人の 若い女子工員も混じっていたのだ。
「このままでは 女子行員たちは 必ずソ連軍に陵辱され被害者がでる。なんとしてもあの娘たちを北海道へ送り返さなければならない。 いまがチャンスだ」
二人はそう申し合わせると、すぐに部隊に命じた。
15:00 日魯漁業の女子従業員に 非常召集。柳岡参謀長から 内地への引き揚げ命令。
16:00 日魯漁業の女子従業員が 出航。
島にあった20数隻の漁船に 女子工員 約400名を分乗させ、ソ連航空機による爆撃が続く中、霧に覆われた港から北海道に向けて出港させた。
戦いは4日間続き、戦闘は激烈を極めた。
占守島は、千島列島北東端の島。サンフランシスコ条約締結以来、領有権の帰属は未確定であるが、ロシアの実効支配下にある。
元禄御国絵図にある地名「しいもし」や鳥居龍蔵の記録にある「シュモチ」はこの島に当たるとされる。
日本軍は武装解除後 分散されたため、死傷者の正確な数をつかめなかったが、日本軍の死傷者約 600名、ソ連軍の死傷者約 3,000名という。
(ただし、ソ連側の数値によれば日本軍の死傷者1000名、ソ連軍の死傷者1567名)
第91師団は、敵ソ連軍を圧迫し 海岸付近に釘付けし、一歩も内陸に前進させず、あと一歩で ソ連上陸部隊を殲滅するところまで追い詰めた。
停戦交渉
第91師団司令部は 18日15時、軍使を派遣したが、ソ連軍に拘束され 両軍の連絡は確立されなかった。
翌19日朝、新たな軍使を派遣し 接触を確認した。しかし 最高指揮官の出頭を要求し 交渉に応じず、師団参謀長や旅団長らが 3度目の軍使として送られた。
会談でソ連側は、停戦のみでなく 武装解除などを要求し、日本側軍使は最終的にこれに同意した。
占守島と幌筵島の日本軍を 武装解除したソ連軍は、27日までに 捨子古丹島までの日本軍を武装解除した。 日本軍の抵抗はなかった。
しかし、占守島にいた日本人約 25,000人は、武装解除後、上陸してきたソ連兵によって 民間人を含めて全員逮捕され、10月中旬に 目的地も告げられぬままソ連船に乗船させられ シベリアへ抑留された。
シベリアに到着した時、人数が 5000人に減っていたという話もあり、また途中で多くの日本人が殺され、シベリアに抑留された人々も、寒さと飢えと栄養失調のために、約1割が亡くなっている。
故 森繁久弥氏は 随筆集の中で、氏が同行見聞した 満州やソ連からの引き揚げ者の悲惨さを書いているが、胸がえぐられる思いがする。
http://utukusinom.exblog.jp/ 引用ここまで
占守島に上陸してきたソ連兵は日本兵の武装解除の後、島中で、女性を捜し回ったそうです。
天皇陛下の玉音放送後の武装解除中の日本兵がソ連相手に戦った実話です。
この戦闘が北海道への侵攻を食い止めたといっても過言ではありません。
ソ連軍は、占守島の占領を実はたった1日と計画、予測していたのですが、占守島第91師団はソ連軍の目論見をものの見事に粉砕し、逆に敵を殲滅しかけただけでなく、ソ連軍を一週間あまり、島に釘づけにしたのです。
その間にアメリカ軍が、北海道進駐を完了させ、ソ連軍の侵攻を免られたのです。
先人たちに感謝しかありません。
ソ連に酷い事をされたのは事実です。
ですが、恨みつらみを言い続けても仕方がありません。それではあの民度の低い某国の国民と同じになってしまいます。(そっちは冤罪ですが・・・)
真実の歴史を知り、先人に感謝をして、そして
今を生きる私たちは未来に向かっていかなければならないと思います。