zerodarkthirty1

 酷暑逃れて目黒シネマで映画2本立てを観てきました。
 いくら考えても答えが出ることはありませんが、
 8月と猛暑と、甲子園のサイレンと戦争と、
 大量破壊兵器と中東と宗教とアメリカと、
 つづく熱帯夜の帰り道にひとり考えたこと。

ゼロ・ダーク・サーティ』 予告
http://www.youtube.com/watch?v=gI7TxhnzXrU


やられたからやり返して、やり返されたからまたやり返す。
宗教戦争において、ひとの歴史はこのループから抜けだすことなんてできないんだろうなと思ってしまう。
ユダヤ・イスラム・キリスト教の根元同じくする唯一神をめぐる確執は、この2000年のあいだに血が流れすぎた。

ビン・ラディンの死が2011/5/1 だったことに妙な違和感を覚えました。
3.11の後だったんだな。あれ以前のイメージだった。2009年くらい。

わたしはカトリックの幼稚園とプロテスタントの中高に偶然通っていたけれど、むかしもいまも八百万の神々の存在を信じているし、
御天道様もお稲荷さんも屋久杉もトイレの神様も小豆洗いも(最後のは妖怪)みんなないがしろにしちゃいけないと思っているから、ユダヤ・イスラム・キリスト教社会にぽつねんと立っていたら、異端児極まりなく、徹底排除の格好の的になりうる可能性も否めない。

日本はそれを、鎖国とキリスト教迫害というかたちでかつて行っていたわけだけれど。

ふと、仏教やヒンドゥー教の社会に宗教戦争ってあったかしらと思い及んで、その辺の歴史に疎いことにぶち当たった。
モンゴル自治区とかがそうか。
知識が曖昧すぎてそろそろ発言自体あやふや生半可できけん。

ビン・ラディンとその側近たちは射殺されたけれど、世界はよくなったわけじゃない。
テロ行為を擁護する気もさらさらない。
運よくわたしたちは、銃のない憲法9条を与えられた経済大国に生まれて、戦争なんてTVのなかの湾岸戦争が物心ついてはじめての記憶で、血みどろの戦場なんて知らない。
コンピュータとデータによる、まるでゲームか映画みたいだと形容される戦争の映像しか観たことがなくて、自主規制や放映自粛によって人々の無残な死も目にすることはない。
知ろうとしなければ、一生知らないまま生きていくことのできる国に暮らしている。
わたしは、ものを考えることを放棄しているひとを見かけると心底うんざりしてしまうタチなので、自分関係ないしみたいなことをのうのうと言っているひとがいると、バカみたいに余計自分一人熱くなってしまう。
もう大人だから、皮肉を一言つぶやく程度でなんとか口を噤みますが、一言はつぶやきます。

もしひとがみんな、自分のことだけでなく、他人のことばに耳をかたむけられるようになったら、この世はやがて悟りをひらいた63億の仏陀で埋め尽くされて、全人類涅槃に到達なんて夢のような光景にゆきつけるかもしれないけれど、そんなの叶わないから、みんな悟りを求めて日々精進しているわけで。

なんだか映画から随分話がそれてしまったな。
911から12年、終戦から68年。
甲子園のサイレンがわたしにはどうしても空襲警報に聞こえてしまう8月。
酷暑逃れで飛び込んだシネマにひさびさたくさんのことを考えさせられました。

zerodarkthirty2




   憂鬱の延長線上で書くとこういうことになります。


  

   水菜といとしのブロッコリーがおいしい季節になりました。
   最近、スーパーのお値引き品ではじめて「少女子」を知りました。
   「小女子=こうなご」と読む。
   ごはんと混ぜたり、パスタと混ぜたり、とてもおいしいです。

   Tue,21MAY'2013



 「砂肝」    楢崎スイソ

 焼きとり屋の煙にまかれて、きょうは食べられるかもしれないとおもった。

 うしろから来るひと、横断歩道を渡ってくるひと、ローファーのかかとを踏みつけて通路を占領しながら歩く女子高生たち、彼女たちは一体全体どうしてあんな太い足をプリーツがみだれるほどまくり上げたスカートの裾からさらして平気でいられるのか。毎日風呂にははいっているのだろうが、埃と湿気のこもった自家のにおいを全身にまとって、髪の毛もスーツもぺたりとしたあまり清潔感のない就活生、加齢臭のする親父は論外、老いぼれたからってまわりが見えていないじいさんばあさんの横入りも、母親が困っているのを理解したうえで泣きわめいている聞きわけのない幼児も、どれもみなうつくしくないだけでかれらとなんの関係もないわたしが腹を立てるのはお門違いだとわかってはいる。わかってはいるが気に障る。
 なにがそんなに気にいらないのか。
 食べたものは吐いて、吐いたものはなかったことにして、ほんの少しの後悔を覚えはすれども、脳髄に残るのは大量のアドレナリンが放出されたあとに流れる水のそそとしたすがすがしさなのである。困ったことにそれは癖になってしまっており、常習性をともなっている。
 歩きたばこのサラリーマンを追いこしても、そのさらに先にまたたばこを咥えた男がいる。息をとめて歩をはやめるも、こちらの都合などおかまいなしの信号機が、週中の忙しなさを追い立てるように青色のLEDを点滅させる。むくんだふくらはぎは駆け足までの気力を持ちあわせず、重たくなって風下に立ちどまらざるをえない。そこで、煙にまかれた。服ににおいがつくから嫌だとか、たれはこぼれるものだから塩だけにしてとか、唾液腺への刺激も手伝って目をしばたき、鼻先が安い鶏肉の焼かれるにおいにつられた。
 あれは学生時代に入りびたった昼間っから日本酒も焼酎も出してくれる日雇い労働者たち御用達の定食居酒屋だった。ほんもののせんべい座布団は何百人の尻に敷かれて綿がフェルトのように固まり、あらゆる食べこぼしがしみついていた。それに腰を下ろすことを厭わず、となりでは友人が見たこともない黒い紙巻の煙草をふかし、このあいだまでかこわれていた話だとか、ありきたりの授業単位数の話だとか、おととい拾った猫が今朝起きたらキッチンに排便だけ残していなくなってしまっていたとか、コンビニのおかかおにぎりに梅がはいっていたとか、とにかくどうしようもなくてどうでもいい話ばかり延々としていた。それが抱えている世間という名のくそせまい世界のすべてだったし、それがあの頃の自分たちの正当性を顕示するために有効な唯一の行為だと疑わなかった。
 毎朝おなじ時間に起きて、出かける仕度をし、満員電車に揺られるようになって、あらゆるモラトリアムは意味もプライドも権利も失った。かつて素どおりできていた数々の嫌悪は単純にそれらに気づいていなかっただけだった。食べることすら、いまではそれに時間を割いているとおもう。なにが食べたいかわからない、だからあるだけ口にはこぶ。これ以上は無理だと充分に胃がふくれたことを脳が納得したら、ようやく戻すことができる。適当に。
 信号が変わる。風向きも変わる。焼きとり屋から吐きだされる煙はほかへ流れる。わたしは副流煙にまかれる。

   





  かれこれ10年以上つきあっている悪癖なのである。


  

  キウイをきったら、ほしがでてきた。
  キウイはいくつでも食べられるなー

  2週間ほどインターネットとつながっていなかった。
  いまは、つながったけれどケーブルの取りあい中。

  すっかり秋になったな。
  
  Sat,13OCT'2012





  恋人の背中にはほんとうに石が埋まっているのです。


  

  赤レンガ倉庫でミネラルフェアスタなるものをやっており、
  ときどき土砂降りのなか、妹と連れだっていってきました。
  彼女はたった3日間の会期中、二度目の物色。
  桜木町をぶらりぶらりした後、妹と別れ友人宅へ。
  中止になってしまったというバーベキュー食材(お肉!)を
  急遽ごちそうになる。 骨付きカルビこてっちゃん。
  とってもおいしかった。 先週の日曜日のこと。

  しばらく忙しさにかまけて怠けていた。

  大型で非常に強い台風第17号がすぐそこに。
  日曜日、満月はきっと豪雨のずっと向こう。

  Fri,28SEP'2012





  朝の栄光とやわらかな呪縛


  20120815

  まだこんなに暑いのに、もうすぐ夏も終わるんだなあ。
  夏の雲と秋の雲が空にまじる時期になると、
  反町広末竹野内のビーチボーイズが観たくなります。

  Fri,31AUG'2012
  




  初恋は美化されるもの。


  ここ1ヶ月のこと。

  あっというまに終わってしまった
  ロンドンオリンピック2012 寝不足だけしばらく残る。


 夏スカッシュゼリー

  東急スーパーで見つけたスカッシュゼリーが
  かわいらしいうえに甘酸っぱくておいしかった。


  Sun,19AUG'2012
  





  獣肉酒家「米とサーカス」によせて


  米とサーカス

.   http://kometocircus.com/  


  月曜日、学生時代の友人と高田馬場で獣肉を食べました。
  まさかの、連れていってくれた先輩が獣肉は食べないよっていう。
  ダチョウのたたきとグルクンのお刺身と鮫の唐揚げなど。
  どれもおいしかったです。


  Thu,26JUL,2012