岩代の結び松に程近い光照寺に
有間皇子と中皇命の歌碑があります
ここは「岡」という地名だそうで
有間皇子の結び松の碑が建っている場所は「結」とのこと
有間皇子自傷結松枝歌

磐白の  浜松が枝を  引き結び
真幸くあらば  また還り見む

       万葉集      有間皇子

この碑は始めは、国道42号線沿いの海を見渡す場所にありました
国道拡張のため移動になったそうです

君が代も  吾が代も知るや  磐代の
岡の草根を  いざ結びてな

       万葉集  中皇命

隣に中皇命の歌碑が建っています

中皇命は間人皇后、斉明天皇、倭姫王との説があり
定説がありませんが間人皇后説が有力なようです

君は一般的には、中大兄皇子のこととされていますが
時々、有間皇子に擬す文献が散見されます

二人の歌碑が寄り添うように建てられているのを見ると
二人の関係がとても、気になります

同じく岩代で詠まれており
中皇命の「いざ結びてな」に応えて
有間が「引き結び」と詠んだとも思えるのです

福田恆存原作、別宮貞雄作曲の
オペラ「有間皇子」はこの歌を
有間皇子と間人皇后の相聞歌として扱っています

CDで聞いただけですが、岩代での二人のシーンはなかなか良かったです

密かに慕ってきた義母の間人に促されて
松を結ぶ有間と、彼の心を知りながら
助けることのできない間人

抱き合う二人を月が照らし出すという、
この上なく美しい場面なのです

でも、中皇命、このオペラでは間人皇后を当てていますが、
間人皇后は、実際は有間より10才位年上なのね。

やっぱり、二人の間の相聞歌は無理かしら?