http://gitanez.seesaa.net/article/136549727.html
アメリカで通っていた鮨屋の大将、どえらい博識な人で、英語は自分の家族とのコミュニケーションにも事欠くのに、日本語だといろいろなうんちくを語っていました。
その中で印象深かったのが、江戸学って話。
江戸時代ってのは、鎖国して、封建的で、日本が300年も眠ってしまったとんでもない時代、このおかげで、日本は、世界に後れを取り、帝国主義の列強の脅威に過剰に反応し、それが、結果としての太平洋戦争の敗北につながった、うんぬん、てのが、まあ、一般的?に信じられている、江戸時代ではないでしょうか。
要するに、時代劇のお侍の時代って、扱いとしては、旧石器時代と同じようなもの。
日本じゃないよ、あんなものは。
夜明け前。
でもね、本当にそうだったんでしょうか?
ちょっと、ぐぐってみたら、やっぱり、江戸学についての本なんても出ている。
今、日本で一番困っているのが、資源とエネルギーの再生。
そいつだって、見事にゼロエミッションで、生き抜いた。
封建制度とか武士ってのがどんなものなのか、正直、さっぱり理解できていないのですが、明治時代ってのを作ったのは、明らかに武士。それも地方士族。
戦後、いくら、地方の時代だのなんだの言っても、山口や九州が日本全体を変えたりしてませんよね。
もとは、薩長土肥だっただけで、中央になってしまった人が、票のために、地方交付金で、地元を甘やかしてるだけでしょ?
でも、江戸末期は、地方が、日本を変えた。
私、一応、父方の郷里が山口なので、やたらに、明治維新がどうのこうの、ってのは聞かされたんですね。
で、萩にも行ってみた。
恐ろしく観光地化されていて、がっくりきたけど、しかし、すさまじいエネルギーの残像を感じた。
どうやると、20代の若者が、ここまで、真剣に考えて、一つの国を変えてしまうことができたのか。
江戸時代ってのが、旧石器時代並みに扱われている理由。
それは、戦前を、ファシズムと片付けているのと同じ理由かもしれません。
薩長の新政権にとっては、否定して、破壊しつくした、旧体制。
戦後も、アメリカの支配にとっては、認めたくない、自立した日本。
常に支配体制ってのは、旧体制を、悪、とか、遅れていたとか、否定してしまうことで、権力の正統化を図る。
今、日本は、とんでもない事態に陥っている。
こいつは、どっからどう考えても間違いない。
今、自分が何ができるか、なんてのは、分からない。
しかし、何かやらなくては、という焦燥感だけはある。
でもね、怖いと思うんですよ。
エーリッヒフロムの自由からの逃走。
ナチズムの研究って言われてますが、それだけじゃない、ありとあらゆる時代の集団ヒステリーの研究だと思いますよ。
なぜ、大衆が、いとも簡単に扇動されてしまうのか?
やたらに、新党とやらに、票を入れに行ってしまう日本人。
これ、似てませんか?
変な焦燥感にかられて、利用されてしまうリスク。
私も、モノを知らないばかりに、扇動されてしまうかもしれない。
無知であるがゆえに、為政者の都合で、簡単に、過去の歴史を否定されて、納得してしまう。
江戸の封建主義が日本を眠らせた、戦前の日本は、すべて、ファシズム、帝国主義=悪である、などなど。
しかし、世界を見てきたような気になって、日本のことを何も知らない。
ゲティスバーグやエノラゲイで、感じたものを、日本でも感じる必要があるのでしょうね。
若いころ、大阪に住んでいて、京都で、デートして、女の子に、くじらさん、って、京都に来ても、何にも歴史の知識ないから、何が楽しいのか分からないと、ずばりと言われたのを思い出します。
結局、うわべだけの、単なる、(写真の趣味の)被写体としてしか見ていない。
アメリカにいたころ、日本からの観光客(ほとんど動線が一致しませんでしたが)を見て、うわべしか見ていないと残念に思っていたのですが、自分も、こと、自分の国になると、実に、観光客目線しか無い。
沖縄やアメリカでは、ある程度の感度がある?と思うのに、どうして?
自分でも不思議です。
ひょっとすると、刷り込まれているから?
今年の夏は、日本史探訪の旅でもしてくるかもしれません。