江戸学 | クジラ怪人の琉球釣り日記

クジラ怪人の琉球釣り日記

2011年3月11日
世界は変わってしまいました。

現在進行中の危機への対処を考えていきたいと思ってはいるのですが。

正直、うまい回答は無いのが現実ですね。
一緒に考えていきませんか。
少しは何かできることがあるんじゃないでしょうか。

http://gitanez.seesaa.net/article/136549727.html


アメリカで通っていた鮨屋の大将、どえらい博識な人で、英語は自分の家族とのコミュニケーションにも事欠くのに、日本語だといろいろなうんちくを語っていました。


その中で印象深かったのが、江戸学って話。


江戸時代ってのは、鎖国して、封建的で、日本が300年も眠ってしまったとんでもない時代、このおかげで、日本は、世界に後れを取り、帝国主義の列強の脅威に過剰に反応し、それが、結果としての太平洋戦争の敗北につながった、うんぬん、てのが、まあ、一般的?に信じられている、江戸時代ではないでしょうか。


要するに、時代劇のお侍の時代って、扱いとしては、旧石器時代と同じようなもの。


日本じゃないよ、あんなものは。

夜明け前。


でもね、本当にそうだったんでしょうか?


ちょっと、ぐぐってみたら、やっぱり、江戸学についての本なんても出ている。


今、日本で一番困っているのが、資源とエネルギーの再生。

そいつだって、見事にゼロエミッションで、生き抜いた。


封建制度とか武士ってのがどんなものなのか、正直、さっぱり理解できていないのですが、明治時代ってのを作ったのは、明らかに武士。それも地方士族。


戦後、いくら、地方の時代だのなんだの言っても、山口や九州が日本全体を変えたりしてませんよね。

もとは、薩長土肥だっただけで、中央になってしまった人が、票のために、地方交付金で、地元を甘やかしてるだけでしょ?

でも、江戸末期は、地方が、日本を変えた。


私、一応、父方の郷里が山口なので、やたらに、明治維新がどうのこうの、ってのは聞かされたんですね。

で、萩にも行ってみた。

恐ろしく観光地化されていて、がっくりきたけど、しかし、すさまじいエネルギーの残像を感じた。

どうやると、20代の若者が、ここまで、真剣に考えて、一つの国を変えてしまうことができたのか。


江戸時代ってのが、旧石器時代並みに扱われている理由。


それは、戦前を、ファシズムと片付けているのと同じ理由かもしれません。


薩長の新政権にとっては、否定して、破壊しつくした、旧体制。


戦後も、アメリカの支配にとっては、認めたくない、自立した日本。


常に支配体制ってのは、旧体制を、悪、とか、遅れていたとか、否定してしまうことで、権力の正統化を図る。


今、日本は、とんでもない事態に陥っている。

こいつは、どっからどう考えても間違いない。

今、自分が何ができるか、なんてのは、分からない。

しかし、何かやらなくては、という焦燥感だけはある。


でもね、怖いと思うんですよ。


エーリッヒフロムの自由からの逃走。

ナチズムの研究って言われてますが、それだけじゃない、ありとあらゆる時代の集団ヒステリーの研究だと思いますよ。

なぜ、大衆が、いとも簡単に扇動されてしまうのか?


やたらに、新党とやらに、票を入れに行ってしまう日本人。

これ、似てませんか?

変な焦燥感にかられて、利用されてしまうリスク。


私も、モノを知らないばかりに、扇動されてしまうかもしれない。

無知であるがゆえに、為政者の都合で、簡単に、過去の歴史を否定されて、納得してしまう。

江戸の封建主義が日本を眠らせた、戦前の日本は、すべて、ファシズム、帝国主義=悪である、などなど。


しかし、世界を見てきたような気になって、日本のことを何も知らない。


ゲティスバーグやエノラゲイで、感じたものを、日本でも感じる必要があるのでしょうね。


若いころ、大阪に住んでいて、京都で、デートして、女の子に、くじらさん、って、京都に来ても、何にも歴史の知識ないから、何が楽しいのか分からないと、ずばりと言われたのを思い出します。

結局、うわべだけの、単なる、(写真の趣味の)被写体としてしか見ていない。


アメリカにいたころ、日本からの観光客(ほとんど動線が一致しませんでしたが)を見て、うわべしか見ていないと残念に思っていたのですが、自分も、こと、自分の国になると、実に、観光客目線しか無い。


沖縄やアメリカでは、ある程度の感度がある?と思うのに、どうして?


自分でも不思議です。


ひょっとすると、刷り込まれているから?


今年の夏は、日本史探訪の旅でもしてくるかもしれません。