”ちきをせんざいのもとにまつ”と読む。

 

うろ覚えだが、”自分のことを理解してくれる人は千年後に現れるだろう”と言う意味だと思う。

 

私はてっきりこれは我が尊敬する山岡鉄舟の言葉だと思っていたが、世間では勝海舟が言ったということになっている。

 

何故山岡鉄舟の言葉かというと、

当時の頭の固い古い武士は、「二君に仕えず」に固執して、徳川に仕えていた山岡鉄舟が新政府に出仕したことを激しく非難した。

 

山岡鉄舟は、慶喜が新政府に恭順の意を示した以上、新政府側のたっての願い(山岡に新政府に入ってもらいたい)を受け入れたまでの話であった。

しかしいちいち言い訳をする山岡ではないので、”知己を千載の下に待つ”と言ったのである。

 

勝は山岡の手柄を何でも横取りする癖がある。

まさかこの言葉まで横取りしたのだろうか。真相はわからない。

 

話は逸れるが、これとは意味が違うが”五百年間出”という言葉がある。

五百年に一人出るかどうかの逸材という意味である。

 

禅宗に深く帰依していた山岡は、江戸中期臨済宗中興の祖であり「五百年間出」と言われる白隠禅師に、是非とも国師号を追賜すべきと考え、臨済各宗派の管長にも呼びかけ、遂に明治17年天皇陛下より国師号(正宗国師)が追賜されることとなる。

禅宗にも絶大な影響力をもっていたのである。

 

この話のネタ本は「山岡鉄舟先生正伝 俺の師匠 小倉鉄樹著」である。

小倉鉄樹とは、弟子として寝食を共にして一番 鉄舟先生の真実を見てきた人物である。

画家の小倉遊亀の夫でもある。

 

私は、山岡鉄舟こそ五百年間出だと思っている。