私たちは、中国風の衣服を着用した。

唐服だろうか。
 
この時代の人々が見覚えのある服装の方が良いとの行蔵の意見に従った結果なの。
 
確かに、私たちの服装はこの時代には違和感があるだろうし、
異国からの旅行者だとしても、無用な警戒感は避けた方が良いと思うから、素直に同意したの。
 
行蔵は身長があるから、すらりと塔のようスマートに見える。
姿勢もいいから、どこから見ても中国人だわ。
私はと言えば、
まんまチャイナドレスだった。
左右にスリットがあり、動き易いとはいえ、本当にこの時代の衣装なのだろうか?
まるで、六本木の夜に闊歩するホステスさんみたい。
 
「ねぇ、変じゃない?
何かこのスリットは必要以上に切り込みが深くないかしら。」
行蔵はしばらく見つめると、笑いもせず、
「お似合いです。お嬢様。」
行蔵の返答にはちっとも納得はいかないものの、元来が無頓着な性格の私はこのまま街に繰り出すことにした。
 
大通りに出ると、都の家宰が立っていた。
王城まで案内してくれるという。
王城である飛鳥岡本宮で、漢の大連高向氏が待っているという。
あの髭面の熊のようなおじさんだ。
いよいよお父さんに会えるのか?
一緒にいるはずの園子にも会えるのだろうか?
 
私たちは優に30分近く、大路を歩いた。
大路はたくさんの人々が行き交い、馬も通るが馬車や牛車はあまり見かけない。
私たちが河内から同乗した牛車はまだまだ珍しい乗り物なのだろう。
 
飛鳥岡本宮の入り口は、神社の鳥居のような門だった。そういえば、京都の平安神宮を思い出した。
鳥居のような門が朱色に染められているせいかも知れない。
 
門をくぐると玉砂利が敷き詰められている。
その玉砂利の庭の中央に伸びる石畳の道をまっすぐ歩いた。
すると今度は屋根のついた門が現れ、その門扉の前には二人の男が立ち、厳しく私たちを見つめている。
 
案内をしてくれた家宰が番人に何かを渡し、男はニヤリと意味ありげに笑い、扉を開けた。
家宰はここからは私たちだけで中に入るように言った。自分は中には入れないからと。

言われるがまま門をくぐると、そこにはまた玉砂利が敷かれ、何本かの石畳みの道が伸びた広い庭に出た。正面には大きな建物がある。
建物の前はテニスコートほどの大きさの石畳みのスペースがあり、建物正面には五段ほどの石の階段があった。

私たちは誰もいない広場を二人で、石畳みの道を歩き、建物の前まで行く。
そして、
石の階段を登ろうとした時、急に扉が開いて、若い女性が飛び出してきた。

「園子!
園子なの?」
私は思わず、叫んだ。