日本人のメンタリティ | 雑記帳

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517 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 19:21:39.14 ID:56vc41+b0
アジアで一番日本が戦略無いね。


585 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 19:30:40.36 ID:RZkeubGo0 [1/15]
>>517
だって歴史的にガチ正面対決しか戦法が無い民族ですから。
もちろん相対的な話だけど。

逆に言えば卑怯なやり方がとても忌避される国でもあり。


745 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2012/09/27(木) 19:50:47.24 ID:jWgAYp710 [11/21]
>>585
そうでもないだろ。
戦後アジアの支持を取り付けようとした吉田茂のやり口はかなり汚いw

自国の地政学的重要性を利用して、
アメに軍事費を出させて自国の復興を図るとか汚いぞw


804 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 19:59:36.02 ID:RZkeubGo0 [6/15]
>>745
だから今そうやって汚いと批判するだろ?
それが日本人のメンタルとモラルってこったよ。



 2ちゃんねるでの上記のやり取りに、何だか激しく納得してしまいました。
 汚いこと、見苦しいことはしない、したくない、というのは日本人のとても素晴らしく、尊く、そして危ういメンタリティだと思います。

 先の東日本大震災の際に、非常に厳しい状況に置かれた被災地の方々が整然と行列を作り秩序を守る様が外国にて驚きと賞賛を持って報道されたのは記憶に新しい話です。
 震災という未曾有の異常状態の中、自分だけがこの状況から抜け出したいと誰だって感じていたはずです。でもそれをぐっと我慢し、秩序に従う。
 誰だって辛いんだ、自分だけじゃない、そんな状況下で自らの利益のために秩序を乱すなんて恥ずかしい行為をしたくは無い。
 そんな日本人特有の考え方を、米国の大学助教授ルース・ベネディクトは1946年に出版された『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword)においてこう表現しています。

 曰く、「恥の文化」

 彼女の著書『菊と刀』においては多分に批判的な意味合いで語られるこの言葉ですが、良きにつけ悪きにつけ、日本人のメンタリティというものを的確に表現した言葉であると思います。
 他人から見て、「恥」と思われることはしたくないんですよね、日本人は誰だって。
 でもそれだけじゃなくて、自分自身というものに対しても、「恥」という概念を持ち合わせている。


 例え話をしましょう。
 あなたが深夜、どうしても喉が渇いてしまい、近くの自動販売機にジュースを買いに行ったとします。
 んで、どうやら昼間、整備の人が閉め忘れたのか、自動販売機の鍵がかかっていなくて、お金を取れる状態になっていたとしましょう。
 深夜であるため、あなたを見ている人は誰もいません。

 さて、あなたはこの自動販売機から、お金を盗みますか? という例え話。

 中にはこれ幸いとお金を盗む人もいるでしょう。どこにだってそういう人はいます。
 でもほとんどの日本人は、お金を盗んだりはしないのではないかと、わたしは思うのです。
 もし万が一、誰かに見られていたら大変なことになる。そういう考えも頭の一部にはあるでしょう、でも大概は「そんなことはしたくない」と思うに違いない。少なくともわたしはそう思います。
 もしそんなことをしてしまえば、明日から負い目を持って生きなくてはならない、たかだか自動販売機の小銭ごときで、そんなのは嫌だ。わたしならそう思います。
 よほどお金に困っていたらまた違うのかもしれませんが、「武士は食わねど高楊枝」なんて言葉がある通り、日本人は窃盗なんて恥ずかしい真似は普通の人はしないものです。

 自動販売機の例で言えば、街中にこんなに自販機があるのは日本だけなのだそうです。
 諸外国は(それは米国すら例外でなく)外に自動販売機など置こうものなら即座に破壊され現金が持ち去られるのだそうです。
 日本ではそんなことをする人はいないからこそ、これだけ自動販売機というものが街中に普及している。
 これは本当に素晴らしいことだと思います。単に自販機がどうこうという話ではなく、日本人は恥を知る文化だからこそ、他人もそうなのだと信じることができる民族なんです。


 ただ、自分たちがそうだから、という理由で、日本人は諸外国の人々もそうなのだと純心に信じ込んでしまう悪癖があります。
 特に日本人と顔立ちが似通ったアジアの国々の住民に関しては、日本人は日本と同じ価値観を相手に求めてしまう、期待してしまう。
 
 中国の人は同じアジアの隣国なのだから、こちらが譲歩すれば相手も譲歩してくれる。
 韓国の人は日本と長い付き合いのだから、「察して」くれる。

 これらの考えは、ひょっとしたらとんでもなく傲慢なことなのかもしれません。
 いくら同じ「アジア」という括りの中の国々とはいえ、生まれ育った環境によって価値観という物は大きく異なります。
 日本だって、東京と大阪じゃまったく考え方が違う部分もあるじゃないですか。ましてや何百キロも離れている外国に至っては推して知るべしです。
 一見した顔立ちが似ているなどという薄弱な理由で「日本人と同じ価値観を共有している」なんて勝手に思い込むのは、彼の国々の固有の価値観を否定しているだけに他なりません。
 それはひょっとすると本当に相手の国に失礼なことなのかもしれません。相手の価値観をまったく認めてすらいないということですからね。
 「一衣帯水」なんて日本人が思うのはおこがましい限りなんですよきっと。

 相手の国の価値観を尊重しつつ、日本という国の国益を最大限に引き出す。
 それが日本が目指すべき外交なのだと思います。