朗読士、池内のりえです。
私のおはなしサロンは、長野県のほぼ中央あたりにある塩尻市、新宿から特急あずさで2時間半のまちです。
人口は7万人弱。生産としてはぶどうとレタスが全国上位の、農村地域です。
歌唱のボイストレーニングは市内のカルチャーセンターやお隣の松本市にいくと、いくつかありますし、朗読講座もありますが、
話し方や声と気持ちの連動を扱うところがあまりないんだろうなあと思います。
朗読士なので、もちろん、わたしがやっているのは朗読がメインのサロン、なのですが、
実際は、話し方や、心の持ちようや、自分の声に対する違和感で、お問い合わせをくださる方のほうが多かったりします。
お役に立てることはとてもうれしい。
お問い合わせでのメールでの個々の対話、何を求めておられるかの把握、その後の来訪、カウンセリング、とその方に向き合い、お声を聴き、アドバイス、またはレッスンをし、晴れやかにお帰りになる姿を見送るとき。
ああ、こんな田舎で??を乗り越えて、よかったなぁと思います。
会得してきたスキルを更新し続けてきたことが無駄ではなかったことも喜びです。
その一方、朗読のレッスンは個人以外に少人数のグループレッスンがだいご味なのですが、それがかなっていないのも事実。
コロナ禍ということもあるのですが、それ以上に。
地域性もあるかもしれませんが、このまちでは朗読や読み聞かせについては、図書館や公民館がほぼ無料(資料代のみ等)の講座を開催していますし、無料の朗読会、おはなし会が随時開催されていて、
都会であるような、有料講座や有料公演は、都会からプロを呼んだ興行が主です。
その無料の講座にも、口演にも、わたしもいくつかは講師としてや演者としてご依頼を受けているのですが。
それは、市民益として行政が相応のギャラを支払ってくれるので受け手は無料なのですが、そこが難しい。
一般の方々は、「朗読」ってのは、ただで教われて、ただで聴くもの、という世界なんですね。
芸術、表現活動としての立場がものごっつ「低い」。
日本人が日本語で書かれているものを読むのに、なんで技術がいるの、という世界。
朗読ボランティアも「誰でもできるボランティア」のくくりの中にあります。
わたしが担当になる前は、朗読奉仕員の講座も全4回8時間。
視覚障碍者に対する朗読奉仕活動でありながら、発声練習と早口言葉、そして課題文を上手に読めるようにする講座でした。
その上手の範囲は「音読」の域です。
いまは、がっつり型に(結構強引をしました、社協さんありがとう)変えていただきました。
無償で、ただで聴ける録音図書には、クオリティと配慮は求められていなかった時代がつい最近までありました。
近年、障害者差別解消法、著作権の改正、読書バリアフリー法などが整備されてきました。
ひとしく、クオリティは求めていい、当たり前じゃん。
がようやく地方にも入り込んできている。
朗読奉仕員の皆様には「技術者」であることを誇りに思って研鑽していただけるといいなと願っています。
朗読奉仕員の皆様には「技術者」であることを誇りに思って研鑽していただけるといいなと願っています。
かつて、東京砧までいかないと朗読の勉強ができなかった。大阪枚方に聞きに行かなかったら音訳がわからなかった、
という時代から、朗読のお教室も豊富、音訳講座も頻繁、インターネットのおかげで、オンラインで学習もできるようになりました。
でも、やはり、声の世界では生が不可欠と、このコロナ禍の中であってこそ、思います。
集団レッスンでは間に合わない個々の悩みや矯正にも、個人や少人数対応で、地域を超えたサポートができればいいなと、
ひとつくらいそんな場所があってもいいかなと思って、おはなしサロン、としました。
朗読を表現者として学んでいる方にも。
いっぱい、はなして、共有して、お伝えして、そこから生まれていくその方だけのその方の読みの世界。
そのお手伝い。全力で。
いま、予約は90分の換気を間に挟んだ形のみの予約の取り方をしています。
「ああ、朗読を生涯、楽しみたい」というこの地域の方々がお尋ねくださるといいなあと
ゆっくりと待ちながら、ひそやかにw研鑽しています。たまーにそちらのお問い合わせがあると。きゅん、とします。
ちょっとずつ個人カルテケースが増えていく。来年には、棚が2段目に行くかしらん。くらいに、超ゆっくりですが。
そして、コロナ明けから先は、
こころざし、ともに、過ごしていける朗読者のサロンになっていけたらいいなぁ。。と夢見ます。
写真はこの秋のサロン風景。