田舎に住む母と御徒町で待ち合わせして
ランチと買い物としてきました。

さて、↓↓何屋さんでしょう?



最初ググって調べてた
「ぽん太本家」
というとんかつ屋さんに行ったんですが
なんと定休日笑い泣き

しゃーない、とたらたら歩いてたら
↑のお店を見つけまして
メニューも何も表になくてなんだろう?
とこちらもググってみたら
とんかつ屋さんでした(笑)
老舗の有名店なんですね~。




ヒレカツ定食をいただきまして
こちら2,940円だったかな?
経験できてよかったです(笑)


とんかつが出来るのを待つあいだ
’死ぬ死ぬ詐欺‘’だった父が年末に亡くなったので、相続?に関する手続きの書類に捺印、記入したりしました。


4年ほど前
急に足がグラグラして歩けない!
立ち上がると崩れ落ちてしまう!
という状態になり
整形外科へ自分で!運転していった父。
これが人生最後の運転になったのです滝汗
(てか、その状態で運転なんかしちゃダメゼッタイ!)


そこで大学病院を紹介され
前立腺がん、その他全身に転移しており
歩けなくなったのも
背骨に転移したがんのせいだったとの話。

その際余命3ヶ月と宣告され
それでも転移してた背骨のがんの切除を行いました。

ほぼ寝たきりでおむつ生活の入院。
頭はしっかりしていたのでおむつを嫌がり
歩けないのに勝手に自分でトイレに行こうとするため何度も粗そうをし看護師さんに怒られることも、、


それから数ヶ月後、、。
退院が決まり自宅で看取りか!?
と思っていたら、なぜか歩けるようになりました!

しかしまた受診のたびに
確実に数値は悪くなっており
その度に余命宣告を受けるのです。

何ヵ所か病院行ってましたから
医者が嘘をついてたわけではないと思うんです。

しかも毎回、今回こそは覚悟して下さいと言われるんです。
信じますよね!?


しかーーし!
そっから10回以上は余命宣告を受けたでしょう!
今度はホントに、、
と、母や兄から何度電話をもらったか、、。

何度か入院したり
血糖値が異常値になったり
その都度覚悟するんですが復活するんですよねー

死ぬ数週間前まで、結局自分で歩いてましたから。

そのね、原動力となったのは何か!

それは、、


だーーいすきな

お酒🍶



だったのですねー。

母と兄はやはり目の前で介護してるのもあり
日に日に弱ってく父をみているので
体に悪いと言われてることは
とめたくなりますよね。
なので、何回もお酒を隠したり
兄は飲んではいけないってことを切々と話したりしてましたが、

このもうフラフラとしか歩けないはずの父は
徒歩5分(父の足だと20分はかかるかな?)のコンビニに何度お酒を買いにいったことか!

最後の方はもういいやと
母と兄も諦め、自由にさせてましたが
たまに受診して血糖値下がってたりすると
「やっぱり酒は百薬の長だなぁ~!ガハハ!」
と笑っていたり。


この父。
自分の好きなことはする。
嫌いなことはしない。
を徹底的にする人でした。

決してわがままというわけでもないんですが
自分の意にそぐわないことはしない人でした。

川柳が好きで先生にもなり
競馬が好きで
競輪が好きで
子供達が好きで
お酒が好きで
食べることが好きで

まー毎日
好きなだけ寝て
好きなもの食べて
好きなことして
痛いときは大げさに痛がり


仕事は自営だったので片手間のよーにやり(笑)
身の回りは全部母がやり

母は大変だっただろーけど
こんなに好きなことだけしてる人も
珍しいなーと思うのです。

多分父は家族が大好きだったので
家族がいるだけでそれだけでも充分満足だったでしょう。


そして余命宣告10回以上(笑)


やはりストレスがないっていうのが
一番の健康法なのかもなーと思うわけです。


しかし、昨年12月に自宅で転倒、そのまま入院し、意識もほぼない状態になりました。
酸素マスクに点滴でかろうじて心臓が動いているような。
母と兄の話では、もう声かけにも反応しないが
苦しそうで、うーとかあーとか言っていると。

最後数ヶ月は認知症も進み
母のことも兄のこともわかったりわからなかったり。
好きだったテレビも本も読めなくなり
ただ1日座ったり寝たりの日々だったようです。

私が行ってもわからないだろうと思ったし
その父を見るのが怖かったのもあり
私は最後のお見舞いを躊躇していました。

まーでもさすがにこれが本当の最後だなと感じていて
周りにも促され
年末の27日に思い立って片道2時間かけて会いに行きました。

母と病室に入ると
苦しそうに息をする父
痛みがあるのか顔を歪めながらハァッ!ハァッ!となんとか息をしていて
あーかわいそうに今すぐ楽にしてあげたいと思ったりしました。

私が顔を覗きこみ
母が私の名前を言いながら
「おとーさん!来てくれたよー!わかるー!」
と何度も呼び掛けます。
そしたら何度目かの時にうっすら目を開けたんです。
私の方を向き、薄目を開けながら母の問いかけに
何度も何度も頷きました。

あーお父さん、私に会いたかったんだねー
もうちょっとで楽になるからね
頑張って生きてくれてありがとね

って心の中で思いました。

病室を出るとき
土曜に父の妹たちが来ると聞いていたので
「おとーさーん、土曜にみんな来るんだってーそこまで後ちょっと頑張ってねー」
と、声をかけました。

土曜の昼に妹たちがお見舞いにきて
思ったより兄さん元気そう!と帰っていったその夜、父は亡くなりました。

母から夜電話で聞かされ
すごい!完璧だわ!
そしてお父さんお疲れ様ね、やっと楽になれたねーありがとねーとあたたかい気持ちになれました。
見事でした。

子供の頃お父さん子だった私は
「お父さん死んだらどーする?」
という父のおふざけの質問に
本気で毎回泣いていたなぁ。
そんなことがあったら悲しすぎてどーしよう!という不安が
こんなにも生き抜いてくれて
よかったねー、よかったねー、と亡くなったのに思わせてくれました。

父親が亡くなってまさか幸せな気持ちになれるとは、、。
全く最後まで娘に甘い父でした。