最近は”敏感すぎる人”・”HSP”の事がメディアに取り上げられることが多くなりました。
認知してもらうことはとても良い事だと思っています。
だけど、私は実は懸念を持っています。
日本に限ったことではないと思いますが、メディアで取り上げられるとそれだけが独り歩きしてしまい
それがまたいじめや仲間外れや…新たな孤独を生む原因になってしまう事です。
日本では特にその同調圧力はとても強く
感受性が豊かな人(私は出来るだけHSPとはそういうものだと言葉に出しています)が
苦労してきた(生きづらさを感じてきた)要因だと思っていますので、
HSPと言う言葉から、新たな孤独・孤立の人を生むのではないか
それが私の懸念です。
それに私は違うのですが、発信できる人は意外とHSS型の人が多いのではないかなと思います。
私自身はHSS型ではないのですが、
なんとか発信できるときはしようと思っていました。
難しいですがねぇ(苦笑)
別に…HSPの人だって十人十色で、
チェック全てに当てはまるわけではないですし。
でもやはり怖いのは、まるで
水戸黄門の印籠やスケバン刑事の桜の代紋のように
伝家の宝刀の様にHSPという言葉を使われてしまう事です。
懸念事項です。
:水戸黄門の・・・とかスケバン刑事の・・・というのは私がその世代だからです: