考えてみれば、昔(幼少期)からそうなのかもしれない。
…失敗恐怖症…
…叱責恐怖症…
…叱咤激励恐怖症…
…全般性不安障害…
決して診断を受けた訳ではない。自己診断である。
公党の考え方と
家長制度の名残りがある地域
そんな独特な進化(或いは退化?)の中、長男として生まれた。祖父(父方)に可愛がられた記憶はない。
行動力はなく、責任だけを重く感じていたやに思う。
自分のうれしかったこと、達成感は、幼少期なら誰にでも話したい。
誰も共感してくれない。共感よりも先に次ぎの課題になってしまう。
いつしか楽しみのない子に育った。
苛められるは、自殺を考えるは・・・それからはずっと自己を捨て次々の課題をこなそうとしていたやに思う。
青年組織にも恐怖心が先行したのか、意思を貫けず入ってしまう。
そしてその後には公党に入る。
楽しみよりも次々、そう、ことここに至っても未だに変われないでいる。
行動力を求められても、義務感のみ。だからこそか、役員に選出されてしまう。どうしても嫌なのに、組織運営を最優先に、公党の考え方に同調し、自分を失う。
他人は簡単に「自分の好きなことすれば良い」と言うが、ここまで、政治的批判と地域の大人からのプレッシャーと、そのほか数多のことに絡めとられていては、年齢が上がるにつれ、益々の協調路線に入らねばならない状態で、好きなことを、幼少期・青年期に見出せないでいたものには、簡単ではない。
今、とてもつらい30代を終わろうとしている年、どうしたら良いのか、新たな仕事続けられる自信がないなど、不安だらけであり、心の休まることはない。