この日、朽木谷の若狭屋敷は緊張と賑やかさに包まれた。
上座には賀茂次郎家当主である義章と、正室・廸。そして庶が座る。
少し離れた左手に繁香入道と若狭家当主の左門。右手には若狭四郎が並ぶ。
以降、若狭の小濱・丹後の宮津の若き当主が居並ぶ。
末席には、僧侶が並んでいた。列席者には、何故僧侶がいるのか判っていない為、皆、訝る。
今日は晴れの日である。
義章の息子、次郎丸・法師丸・庶丸の元服であった。
粛々と進む式は厳かに行われた。
烏帽子親は次郎丸が左門である。次郎丸は、左門から
「父上は大変苦労された。だが、父上に拘らず、そなたらしい形によって、次郎家を盛り上げよ。次郎を称すべし。」
庶丸の烏帽子親は佐々木秀俊である。秀俊の嫡子・秀義は佐々木の家を分家し、近江の別所にて居住している。
「庶丸どの、新しき旅立ちとなる。兄上を支え、盛り上げよ。嘉平を称すべし。」
二人の式が終わると、廸と庶が、義章から渡された紙を、それぞれ広げた。
同時に義章が厳かに伝える。
「それぞれの母の持つ紙の名が、二人の諱である。次郎は、賀茂次郎源義充(かものじろう・みなもとのよしみつ)。嘉平は鴨居嘉平源款章(かもいのかへい・みなもとのまさあき)である。」
「これよりは、義充と鴨居嘉平である!皆々見知っておく様に!」
平伏した出席者は、だが、その不可解さに気付く。
「左門殿、お伺い申す。」
蒲原邦九郎師則(四郎五郎平師寧次男)は、次男の法師丸の元服の式が為されない事に、疑問を感じた。
「蒲原殿の申し条、得心いたす。法師丸殿はどうなさる?」
浅田又三郎周央(あさだまたさぶろうまさちか・浅田藤十の曾孫)が率直に訊ねた。
「法師丸は、10年の間、三井寺に預ける事にしました。既に納得しております。」
「私は、兄・義充や弟・嘉平款章に比べても、極めて武芸は劣ります。ですが、修学には自身があります。よって、10年後、還俗の際に諱を頂戴致します。」